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小説『どうか心の片隅に』

 僕あま修正版、二話目です。
 現代の切り裂きジャックに頼まれ、殺人事件を調べることになった千夜の話。


『どうか心の片隅に』

プロローグ
 晴常学園前でバスを降りた千夜は、夜道を歩き出す。
 塾の帰りである。千夜が住んでいるマンションはここから十分ほどの所にあるのだ。
 晴常学園の前を通り過ぎると、街路樹の向こうに公園がある程度。車道を走る車も少ない。
 学生が一人で歩くには危ない道と言えるだろう。
 だが、千夜は特に恐怖を抱くこともない。
 なにせ週に三回、同じ時間にこの道を通っているのだ。
 しかしその日はいつもと違った。絹を引き裂くような音がしたのだ。
「何だろ」
 公園の方から聞こえたそれが気になった千夜は立ち止まり、そちらに目をやった。
 暗くてよく分からないが、街路樹の隙間から見える広場には男が立っているように見える。
 その時、車のライトで広場が照らし出された。
「っ!」
 スーツ姿で黒髪をオールバックにした男。その足元に制服姿の少女が倒れている。
 その喉からは、血が溢れていた。
 男がこちらを見る。
 暗く深い、殺意を孕んだ瞳と目が合った。
 千夜はすぐに駆け出した。
 鞄を抱きしめ、必死で走る。自分が住むマンションを目指した。
 二十階建ての高級マンション、そこに辿り着くとエントランスで自らの部屋番号を入力し、中に駆け込む。
 エレベーターはすぐに下りてきた。乗り込み、十二階のボタンを押す。
 ――もし、もしも。
 エレベーターの扉が開いた時、殺人鬼が立っていたら……。
 首を振り、そんなホラーじみた妄想を打ち消す。
 扉が開く。――目の前には廊下が伸びているだけだ。
 1207号室の前で鍵を探す。財布に入れていたそれを震える手で取り、開錠した。
 ドアを開け、玄関の電気を点ける。
 殺人鬼がリビングで待ち構えていることもなく、ほっとした千夜はソファに体を沈めた。
「そうだ、警察」
 スマートフォンを手に取る千夜。
「いや……」
 だが、彼女はぽとりとそれをソファに落とした。
「それじゃあ、つまらない」
 あの男の目、あれは普通の人間のものとは違った。
 本物の、殺人鬼の目だった。
 ――見てみたい、あの男の末路を……。
 警察に捕まるのは、まだ早い。
 千夜は息をつき、両手で顔を覆った。
「私も……、したい」
 もう一度、今度ははっきりと繰り返す。
「私も、殺したい」



第一章
 混雑した駅のホームで、千夜は前に立つ男の背中を見つめていた。
 スーツ姿のその男は、無防備な背中を晒している。
 ――今なら、この男を殺せる……。
 千夜はごくりと唾を飲み込んだ。
 周りの人間たちはスマートフォンをいじっていたり文庫本を読んでいたり、と他人に興味はないらしい。
 絶好のチャンスと言えた。憎い男を殺す、チャンスだ。
 千夜は大きく息を吸い込んだ。
「電車が参ります、ご注意ください」
 そのアナウンスを聞きながら、息を吐き出す。
 あと何秒だろう。この男の命の火が尽きるまで。
 電車が見えた。
 千夜は思い切り手を突き出した。
 男は背中を押され、バランスを崩す。ホームに留まろうとするが足は絡まり、死へのステップを踏む。
 電車のブレーキ音を聞きながら、千夜は背を向けた。
 ――ああ、やっとあんたを殺せた。

「ん……」
 千夜はベッドで目を覚ました。
「ああ、夢かあ」
 体を起こし、息をつく。
「嫌な夢」
 まだ掌に、あの男の背中の感触が残っているようだ。
 千夜の部屋にはベッドや机の他に本棚がある。
 本棚には様々な本が詰め込まれていた。
 ミステリー小説が多いが、中には学園生が読むとは思えない専門書も収まっている。
 彼女の成績がトップクラスなのは、それらから得た知識のおかげと言えるだろう。
 千夜はピンク色のパジャマ姿のまま洗面所に向かう。
 顔を洗ってさっぱりすると、リビングでテレビを点け、コンビニの菓子パンの封を開けた。
 特に料理をすることのない千夜には、真新しいダイニングキッチンは無用の長物だろう。
 パンにコーティングされたチョコレートの香りで、頭が覚醒していく。
 それを齧りながらテレビに目をやると、昨夜通った道が映っていた。
「あ」
 やはりあの公園で女子高生が殺害されていたらしい。
 千夜はワイドショーに集中した。
 コメンテイターが「やはり『現代の切り裂きジャック』でしょうか」などと話している。
「現代の切り裂きジャック、かあ……」
 それはここ最近話題になっている殺人鬼だ。マスコミによると被害者――この一ヶ月で三人、昨夜で四人目だ――が全員売春をしていたらしく、週刊誌やワイドショーでは犯人のことを現代の切り裂きジャックと呼んでいる。
「死体蹴りだよな」
 被害者は私生活を暴かれ、ネットでは殺されて当然の売女扱いをされている。
「ま、いいけど」
 千夜は肩を竦めて残ったパンを口に詰め込み、ハンガーに掛けていた制服を取った。
 それに着替え、三年生であることを示す赤いネクタイを締める。
「さ、そろそろ行かなきゃ」
 千夜は通学鞄を手に取り、専門家らしき男が現代の切り裂きジャックのプロファイリングをしているのを見て、テレビを消した。
「あれは三十代半ば、かな」
 昨日の男を思い出し、小さく呟く。
 玄関に向かう千夜には「行ってきます」を言う相手がいない。
 去年母が他界し、その位牌も田舎に住む祖父の家にある。
 千夜は何も言わずドアに鍵をかけると、エレベーターに向かった。

 千夜が三年一組の教室に入ると、クラスメートは半数以上来ており、思い思いの話に興じている。
「おう、おはよー、千夜」
 千夜に気付いた風切が、軽く手を上げた。
「おはよー」
 千夜も手を上げながら席に着いた。
「さっきからお前の話してたんだぜ」
 秋葉の言葉に千夜は目を瞬かせる。
「え、何で?」
「昨日殺人事件があっただろう。お前のマンションのすぐ近くで」
 千夜は冷奈の言葉を聞いて、「ああ」と声を上げた。
「あれね、今朝ワイドショーで見たよ。現代の切り裂きジャックかとか言ってたけど」
「千夜は大丈夫なのかよ? 塾の帰り、遅くなるんだろ」
 沢村は恋人ととして本気で心配している様子だが、千夜は苦笑する。
「切り裂きジャックの件について大丈夫かって言ってるなら、私は売春とかしてないから狙われることはないかな、としか」
 沢村は真っ赤になった。
「俺は危ないこと全般について言っただけで、お前が売春してるとは思ってねえ!」
「沢村、千夜もからかってるだけで本気にしてねえから」
 秋葉はけらけらと笑う。
「しかし笑い事じゃなく気を付けた方がいいと思うぞ。塾の終わる時間は遅いしな」
「まあねー。でも鷹川さんこそ大丈夫なの? 終わる時間一緒なんだけど」
「私も売春はしてない」
「いや、切り裂きジャックだけに限らずの話だろ。誰もお前が売春とか考えねえよ」
 風切が冷奈にツッコミを入れる。
「ま、今の時代色々危険だしなー。でも、何で現代の切り裂きジャック何だ? ジャックって誰?」
 風切の問いに千夜は、
「ジャックは名無しの権兵衛みたいなもんだよ。十九世紀ロンドンで売春婦ばかりが殺された事件の犯人。未解決だから名前も分かってないの」
 と、答える。
「へー、千夜ってそういうのよく知ってるよな」
「切り裂きジャックはミステリーではよく使われるネタだからね」
「でもさー、現代の切り裂きジャックじゃなくて、切り裂き権兵衛って呼べばよくね? ジャックだとなんか格好良くて腹立つ」
「それは和風……、なのか?」
 風切の発想に冷奈は呆れたようだが、千夜はツボにはまったようでくっくっくっと笑う。
「まあ切り裂き権兵衛なら模倣犯は出ないだろうな、普通にダサい」
 秋葉も頷き、笑った。
「まあ気を付けるに越したことはねえだろ。――もし、千夜が良かったらよお……」
「ん、何?」
 沢村は汚名返上と言いたげに一つ咳払いをする。
「塾まで迎えに行ってやろうか?」
「別にいいよ、ほとんどバスだし」
 と、はっきり断る。
「そ、そうか……」
「元気出せよ、沢村」
 風切はその背中をぽんぽんと叩いた。

 六時間目の授業が終わり、千夜は「うーん」と伸びをする。
「この後どうするかなー」
 六時間目は選択授業で、音楽の授業を取っている千夜は特に話し相手もいない。ちなみに秋葉と風切は美術、冷奈と沢村は書道の授業を取っている。
 荷物は持ってきているので教室に戻る必要もない千夜は、このまま帰ることにした。
 音楽室のように普段使わない教室は北校舎にある。千夜は三階から階段を下りていった。
「ん?」
 踊り場で蹲っている女子がいるのに気付く。
「大丈夫?」
 千夜は階段を駆け下り、彼女に声をかけた。
 こちらを向いた少女の顔は、紙のように白い。
「顔色悪いよ、保健室行く?」
「大……、丈夫……」
 掠れた声で返す彼女は、話したことはないがクラスメートだった。
「えっと、香川さんだよね」
 確か、香川弓子だったはずだ。
「ええ、海戸さん」
 弓子は弱々しく微笑む。
「ちょっと貧血を起こしただけだから、気にしないで」
「そう? でも保健室に行った方が……」
「いいの、ありがとう」
 本人がそう言うのなら、千夜が強制することではない。
「じゃあ、お大事に……」
 千夜はそう言ってまた階段を下りていった。
 しかし、どうも彼女のことが気にかかる。
 普段あまり他人のことを気にしない千夜だが、何故か気になった。
「仕方ないなあ……」
 千夜は手洗い場に入ると、ポケットから取り出した水色のハンカチを濡らした。
 そして、先程の踊り場に戻る。
「お節介かもしれないけど、これ額に当てたら少しすっきりするかもよ」
 千夜はまだ蹲っていた弓子にハンカチを差し出した。
 弓子は目を瞬かせると、
「ありがとう」
 と言ってそれを受け取り、額に当てた。
「気にしないで」
 千夜はしゃがみ込み、弓子の頬に触れた。
「熱っぽくはないね。やっぱり貧血か」
「ええ、だから、大丈夫」
 弓子は少し回復してきたらしく、長い黒髪を揺らし頷いた。純和風美少女といった感じである。
「海戸さん」
「ん、何?」
 何が起こったのか、一瞬分からなかった。
 弓子の顔が近付き、唇が千夜のそれに触れる。
 さすがの千夜も、反応ができなかった。
「ごめんなさい」
 弓子は真剣な顔でそう言うと、ふらつきながら立ち上がった。
 千夜は言葉を返せない。
「本当に、ごめんなさい」
 弓子はもう一度謝罪すると、ゆっくりとだが階段を上がっていった。
「いや、うん……」
 弓子の姿が二階に消えてから、千夜は唇を押さえた。
「アメリカ人の、挨拶的な?」
 ――じゃ、ないか……。
 弓子の表情は真剣そのものだった。
 あれは、純粋な好意からくる口付けに思えた。
「うーん……?」
 千夜は背中を壁に預け、その場に座り込む。
「最近の子の行動は、よく分からんなあ」
 そう呟き、溜め息をついた。
 ハンカチのことなど、すっかり忘れていた。

 翌日、教室に入った千夜は妙な雰囲気を感じ取った。
 学生たちはどこか深刻な顔をし、声を落として喋っている。
 その様子に千夜は首を傾げ、先に来ていた四人の元に駆け寄った。
「ねえ、何かあったの?」
「なあ、千夜は香川と喋ったことあったか?」
 沢村がいつもより小さな声で尋ねる。
「香川さん、か……。昨日ちょっと話したよ」
 キスされたとはさすがに言えない。
「昨日、亡くなったって」
 秋葉の言葉に、千夜は目を瞬かせた。
「そういや具合悪そうだったけど、病気?」
「いや、殺された、らしい」
 冷奈は表情こそ変わらないものの、声はやはり抑え気味だ。
「ええ、殺されたって……」
「俺、今日日直だったから職員室行ったんだけど、東尾が話してた。なんか、酷い有様だったって……」
 顔を顰める風切に、千夜は「そっかあ……」と言葉を返す。
 クラスを支配する重い空気はそのせいらしい。ただ死んだのではなく殺された。
 ついこの間教師が殺されるという事件もあったが、クラスメートが殺されたとなるとまた別だ。
 しかし、涙を零している者はいなかった。彼女はクラスに友人というほどの者がいなかったのかもしれない。
「なんか、淋しいな」
 風切はこてんと机に頭を置き、呟く。
「クラスメートが一人減ったと思うと、淋しい」
「そうだね」
 千夜は頷いた。
 実際のところまだ淋しいという実感はなかったが、頷かずにはいられなかった。

 その日の放課後、弓子の通夜が行われた。
 学校の近くの葬儀場で行われた通夜には制服で行くのが好ましいとのことで、ほとんどの学生たちがそのまま来ている。千夜たちもそうだ。
 前方のパイプ椅子には親類であろう大人たちが、後方には三年一組の学生や教師たちが座っている。
 ――お母さんのお通夜を思い出すな。
 千夜はふと思った。
 母の通夜や葬儀は祖父と叔父に任せきりで、千夜はただぼんやりとその光景を眺めているしかできなかった。
 ――でも、あの時ってこんな感じだったっけ。
 母の通夜ではすすり泣く声が聞こえてきた気がするが、今はただ読経の声が響くだけだ。
 どこかピリピリした空気すら感じ、千夜は居心地の悪さを覚えた。
 焼香の順番も淡々と過ぎて行き、通夜は終了する。
 黒い額縁の中で静かに微笑んでいる弓子が、印象的だった。
 千夜は自らの唇を撫でる。
 ――結局、あの時のキスの意味は分からず終い、か。
「この後、どうするんだ?」
 ボーッとしていたところを沢村に声をかけられ、我に返った千夜はパイプ椅子から立ち上がった。
「ああ、どうしようか」
「とりあえずここ、出ようぜ」
 秋葉も居心地の悪さを感じていたのかもしれない。
「うん」
 会場の出口で待っていた冷奈と風切と合流し、廊下に出る。
 そのまま進み、葬儀場を出ようとして千夜は足を止めた。
「ごめん、ちょっとお手洗い行ってくる」
 そう告げ、廊下を戻る。手洗い場は会場を曲がった所にあったはずだ。
 角を曲がろうとした時「何でこんなことに」という声が聞こえ、千夜は足を止めた。
「私だって分からないわ」
 続く言葉からも深刻な話のようで、姿を現しづらくなった千夜はこっそりと覗くことにした。
 声の主は喪服姿の弓子の両親だ。
 ――香川さんのこと、悲しんでるのかな。
 通夜の席では気丈に振る舞い、涙を見せなかっただけかもしれない。
「あの子が妊娠してたなんて」
 神経質そうな顔立ちの母親の言葉に、千夜は上げそうになった声をなんとか飲み込んだ。
「こんなこと、我が家の恥だぞ。親戚連中も内心笑ってる」
 生真面目そうな父親が、ぎりっと奥歯を噛み締める。
「本当に、あの子は何を考えてたのかしら。死んでまで迷惑をかけて」
 そこまで聞いていた千夜はいたたまれなくなり、手洗い場には行かずに友人たちの元へと戻った。
「立ち止まってたけど、どうしたんだ?」
 長い廊下だ、沢村たちに声は聞こえなかったのだろう。
「いや、やっぱり今はいいやと思って」
 千夜は取り繕うようにそう言った。
「そうか? とりあえずファミレスでも寄ってく?」
「うん」
 秋葉の言葉に千夜は頷いた。

 ファミレスでも特に盛り上がるということはなく、千夜は帰路についた。
 一人で帰るのは少し考えたかったからだ、弓子のことについて。
 両親の言っていた通り、弓子は妊娠していたのだろう。あの時貧血と言っていたのは、つわりだったのだ。
 ――でも、誰の……。
 考え込んでいた千夜は、後ろから男がつけてくるのに気が付いていなかった。殺人鬼のことなど、半ば忘れていた。
「警察に通報しないでくれてありがとう」
 後ろからの声に、千夜ははっとする。
「貴方は……」
 街灯に照らされたスーツ姿、こちらを見つめる暗い瞳。
 ――あの時の、殺人鬼……。
 千夜はとっさに走り出そうとした。
 だが、殺人鬼の黒い革手袋に包まれた手が千夜の腕を掴み、強い力で引き寄せる。
 後ろから抱き締めるようにして、彼はその耳元で囁く。
「やっと会えたね、千夜」
「何で、名前……」
 千夜は掠れた声で問いかける。
 だが、殺人鬼はその問いには答えない。
「私の名前は月船文彦。現代の切り裂きジャックというやつだ。よろしく」
 その優しい声音が、不気味に響く。
「私と君はもうお友達だよ。君は、私のことを警察に通報しなかった。それに……」
 月船はニヤリと笑った。
「君だって、人を殺したいんだろう?」
 千夜の体が固まる。蛇に睨まれた蛙のように。
「そんな、ことは……」
「分かるんだよ、目を見れば。君だって私の目を見て感じただろう? 殺意や狂気、そんな、普通の人間とは違うものを」
 確かに、その目に深い闇が見えるのは事実だ。
 千夜は気圧されたように一歩下がった。
「私は、まだ……」
「ああ、君はまだ殺してない。それに迷ってる。だけどいつか、こちら側に来るよ」
 月船は一歩、足を踏み出す。
 千夜は退かなかった。だが、彼の瞳からは目を逸らす。
「そうやって自分の中の闇からも目を逸らしていたら、自覚しないまま飲まれてしまうよ、闇に」
 月船は千夜の顎を掴み、自分の方を向かせる。
 千夜はされるがままにその瞳を見つめた。
「そうだ、それでいい」
「どうしたいんですか、貴方は……」
 千夜の声は、もう震えていなかった。
「そうそう、一つ頼みがあってね」
 月船は微笑んだ。
「私の濡れ衣を晴らしてくれないかい?」
「濡れ衣?」
「そう、君のクラスメート、香川弓子殺しの濡れ衣をね」
 千夜はその名前にピクリと反応する。
「まだ発表はされてないけど、警察はあの事件も私がやったと思ってるようでね。なんせ手口が似ているからな。でも、私はその子だけはやっていないんだよ。殺すのは売春してる子だけだからね。現代の切り裂きジャックだから」
「何で私に頼むんですか?」
「そうだね、君が私のことを通報しなかったのと同じじゃないかな」
「え?」
「事件を解決した君が、どうなるのか見たい」
 しれっとそう言われても納得がいかない。
 だが、千夜は弓子が殺された理由を知りたかった。
「分かりました、やります」
 千夜は月船の目をまっすぐに見つめた。
「ありがとう、じゃあ頼んだよ。俺はそろそろ行くから。あんまりのんびりもしていられなくてね」
 月船は千夜に背を向けると、片手を上げた。別れの挨拶のつもりらしい。
 千夜は息をついた。
 ただ、理由が知りたい。
 彼女が死んだ、理由が。
 それがただの好奇心なのか、また別のものなのかは分からない。
「とにかく、帰ろう」
 千夜は小走りでマンションに向かった。



第二章
 翌朝の教室は、昨日とは違った意味でざわついていた。
「香川、妊娠してたんだって」
 そんな話が耳に入り、千夜は溜め息をついた。
「おはよ、なんか変な噂が広まってない?」
「あー、なんか一年のやつが産婦人科に入っていく香川を見たとかで」
 沢村が頭を掻き、答える。
 秋葉が肩を竦め、
「でも、全然驚いてない辺り千夜も知ってたんじゃないのか?」
 と、問いかける。
「お通夜の後、香川さんのご両親が話してるの聞いた」
「じゃあマジなんだな」
 風切は「うーん」と腕を組む。
「今回の事件も切り裂きジャック――じゃなかった、切り裂き権兵衛のしわざなのか?」
「わざわざ言い直さなくていいって」
「違う」
 千夜は思わず断言してしまい、取り繕うように付け加えた。
「と、思う」
 キョトンとしている四人に対して、
「ほら、売春とかしてそうにないタイプだったし」
 と言った。
「ま、確かにそうだな」
「しかし千夜にしては珍しいな。お前、基本的に他人には興味ないのに」
 秋葉に言われ、千夜は苦笑する。
「ま、こういうこともあるさ」
 そして、ふと思った。
 ――情報収集なら、『あそこ』が一番かな。

 放課後、漫画研究部にやって来た千夜。
「やあ、元気?」
「あ、海戸せんぱーい! どうしたんですか?」
 るるが嬉しそうに立ち上がる。
「安本さんたちにちょっと訊きたいことがあってね」
「はい! この安本るる、海戸先輩のためなら何でも答えちゃいますよ!」
 彼女は敬礼をし、瞳はやれやれと肩を竦め、リナ困ったように微笑む。
「先輩は何が知りたいんですか?」
「殺された香川さんのこと。わけあって真相を知りたくてね。教えてくれないかな?」
 そしてまるで男が女を口説くように、るるへと顔を近付けた。
 するとるるは「はい!」と嬉しそうに声を上げ、瞳とリナの方を向いた。
「三年一組のファイルってどこだっけ、瞳ー」
「もー、ほんとは外部に漏らしちゃダメなんだよ。あくまであたしたちのネタ用なんだから」
「彼女の交友関係とかは?」
「えっと、クラスに友達とかはいなかったみたいですよ」
 千夜は納得する。クラスメートたちの他人事のような反応はそのせいだったのだろう。
「クラス外には?」
「香川先輩は図書委員だったから、その絡みはあるみたいですね。三年五組の多田先輩が香川先輩に告白したとかなんとか」
「告白? 結果は?」
「玉砕ですよー。好きな人がいるからって断られたらしいです」
「ふむ」
 千夜は頷く。
「あ、あの、あと……」
 リナがおずおずと口を開く。
「生物室によく通ってたみたいです……。きっと生物が好きだったんですね……」
「生物が好きとは限らないわよ?」
 るるがにっと笑う。
「生物教師が好きだったって可能性はあるわね。国本とか趣味悪過ぎだけど」
 瞳が呆れたように言い放つ。
 生物教師、国本忠司の授業は千夜も受けている。どこか暗い感じのある四十代男性で、あまり学生に好かれている様子はない。
「あたしたちが知ってるのはこれくらいですね」
「そっか、ありがとう。ちなみに彼女は妊娠してたわけだけど、心当たりとかある?」
「いやー、さすがにそれは。でも……」
 るるは言葉を切った。
「売春してたって話は聞いたことないから、恋人とかそういう相手の子供なんじゃないですか?」
「なるほど、ありがとう」
 千夜は三人に、「じゃあね」と手を振り部室を出た。
「とりあえずは図書委員の多田君、それと国本先生、か」
 そう呟き、塾へ向かうべくバス停にへと歩き出した。

 そして次の日、放課後になると千夜は図書室にやってきた。
 カウンターに座っているのは二人、男子学生と二年であることを表す黄色のネクタイをした女子学生だ。
 千夜はすたすたと歩み寄ると、声を落として尋ねた。
「多田君いる?」
 男子学生が溜め息をつき、「俺だけど」と答える。
「俺が多田浩太。何の用だ?」
「香川さんのことについて訊きたいんだけど」
「またですかあ?」
 隣に座っていた女子学生が、嫌悪感を剥き出しにして唸る。
「え、なになに? またってどういうこと? というか、君は?」
 女子学生の剣幕に驚き、千夜は一歩下がった。
「あたしは鈴原ルカです。もう十人目ですよ! 多田先輩にそのこと訊きに来たの!」
 眼鏡に三つ編みという地味な外見だが、なかなか気が強いらしい。腰に手を当てて立ち上がり、千夜を睨み付ける。
「多田先輩だって傷付いてるんですから、好奇心でそういうことを訊きに来るのはやめてもらえませんか!」
「まあまあ」
 多田の方が苦笑し、ルカを宥める。
「まあまあじゃないですよ、先輩! ムカつかないんですか?」
「まあまあ、図書室では静かに、ね?」
 千夜は人差し指を唇に当て、ニヤリと笑う。
 ルカは千夜を更にきつく睨む。
「えっと、海戸だよな、三年一組の」
 多田に訊かれ、千夜は首を傾げる。
「そうだけど、何で知ってるの?」
「色んな意味で有名人だし、お前」
「へえ」
 あえて突っ込むことはせず、曖昧に笑った。
「お前はさ、好奇心とかで来たんじゃないんだろ? なんとなくだけど」
「うん、まあ。――多分」
「多分って何だよ」
 多田は「ははは」と笑うと、ルカの肩を叩いた。
「悪い、ちょっと出てくるから、しばらく一人で頼むわ」
「いいですけど……」
 ルカは釈然としない様子ながらも渋々頷く。
「どこで話す?」
「この時間なら食堂とか?」
「オーケー、手短に頼むな」
 二人は図書室を出る。ルカはその背中を見送ると、「もう!」と腕を組んだ。

 人がほとんどいない食堂で、二人は缶ジュースを手に話を始めた。
「香川さんに告白したって、ほんと?」
 直球だが、手短にと頼んだのは多田の方だ。千夜は問いかける。
 多田は気を悪くした様子もなく頷く。
「ああ、三ヶ月ぐらい前かな。図書室で誰もいなかったから、告白した。――ま、見事玉砕だったけどな。好きな人がいるからって」
「そっか」
 漫研の情報は確かだったらしい。
「好きな人が誰かは、言ってた?」
「いや、そこまでは。あ、でも……」
「うん?」
「きっと結ばれない相手だって言ってた」
 多田は少し寂しそうに目を伏せる。
「なあ、あいつ、妊娠してたんだろ?」
「うん、そうらしいね」
「じゃあ、その好きな人とは結ばれたのかな? 誰の子供だったんだ……」
「さあ、私もそこまでは」
「十人目だって、鈴原が言ったよな」
「ん? ああ」
 多田が苦笑した。
「中にはさ、俺が父親じゃないかって言うやつもいるんだよ。玉砕したから、そのままレイプしたんじゃないかって」
 なるほど、ルカがピリピリしていたのは、そんなことを言ってくる輩がいたかららしい。
「それは、酷いね」
「ま、そう思いたくなってもしゃーないよな。みんな動揺してんだよ」
 こうして話していると、彼は人を殺せるようには見えなかった。
「じゃ、俺はそろそろ行くな。あいつ一人にしとくのも心配だし」
「ああ、うん。ありがとう」
 千夜はその背中を見送ると、平井の言葉を整理する。
「結ばれない相手、か」
 ――家族、同性、教師……。
「あのキスは、好意の証とかじゃないよな」
 結ばれない想い人に自分も当てはまるのは分かっていた。
 しかし、千夜は自分が弓子に想われる覚えがない。
 何より、彼女を妊娠されることなど不可能だ。
「キスして妊娠なんて、今時子供でも信じないよ」
 そして、問題はもう一つある。
 お腹の子の父親と犯人は、同一人物なのか否かというところだ。
「同じと考えるのも、ちょっと軽率か……」
 千夜は「うーん」と唸った。

 生物室は北校舎の二階にある。
 千夜は誰もいないその教室で、窓から見える中庭をぼんやりと見ていた。
「ここに、香川さんがよく出入りしてた、か」
 生物室の戸が開く音がした。
「何をしてるんだ」
 はっと振り返ると、白衣姿の国本がどこか神経質そうな目で千夜を見つめていた。
「あ、先生。すみません、少しぼーっとしてました」
 教師からの信頼を得ている千夜だからか、国本は特に疑う様子もなく「そうか」と言った。
「そろそろ帰ったらどうかね。最近は物騒だ」
 そう言いながら、彼は生物室のカーテンを閉めていく。
「はい、そうしますね」
 千夜は微笑んで歩き出し、ふと足を止めた。
「香川さん」
 その名前を口に出すと、国本の動きがピタリと止まった。
「――が、よく生物室に出入りしてたって聞いたんですけど、彼女、生物が好きだったんですね」
 あえてとぼけたことを言って振り返り、国本の様子を伺う。
 どんな反応を見せるかと思ってやったことだったが、結果は意外なものだった。
 千夜の方を見た彼の目から、涙が一筋溢れた。
「え?」
「香川君……、いや、弓子の」
 国本はポケットから水色のハンカチを取り出し、目元を拭う。
「お腹の子の父親は、私かもしれない」
 その告白に、千夜は息を飲む。
「愛し合っていたんだ、私たちは」
「何で、それを私に?」
「君は口が軽いようには見えない。誰かに、知ってもらいたかったんだ。私と弓子の間に、愛が存在したことを」
「はあ……」
 それ以上踏み込むことができず、千夜は「失礼しました」と言って生物室を出た。
 どこか国本に、恐怖を感じたのだ。
 ――知ってもらいたかったって、何だよ……。
「愛し合っていたなら、殺す必要はない、か……?」
 そう考えると、お腹の子供の父親と殺害の犯人は別ということになる。
 しかし、国本の言葉を丸々信じることもできなかった。
「そもそも、何で腹を裂いたんだ」
 それに関しては、思い付くことがいくつかあった。
 現代の切り裂きジャックの犯行に見せかけるため、とか。
 弓子のことが憎かったから、惨たらしく殺したかった、とか。
 ――あと、もう一つ……。
「いや、それはいくら何でも、狂ってる……」
 千夜は頭を振った。
 ――いけない、いけない……。
 殺人犯のことを考え過ぎて、侵食されそうだった。
 殺意は、伝染するのかもしれない。
「怖い……」
 自分の中の殺意が、闇が、暴走しそうになる。
「は、は……」
 千夜は踊り場で蹲った。
 まるで、あの時の弓子のようだ。
 ――殺したい。私も、殺したい。
「あの、男を……」
 目の前で火花が散るような感覚。足元が、ぐにゃりと歪んで落ちていくような恐怖。
 ――落ち着け。
 千夜は頭を押さえ、自らに言い聞かせる。
「殺したい……。でも、駄目だ、私はまだ……」
 小さな声で、ぼそぼそと呟く。
「まだ……」
「千夜?」
 名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。
「どうしたんだ、気分でも悪いのか?」
 沢村が、心配そうに千夜の顔を覗き込んだ。
「いや……、大丈夫」
 不快な感覚が収まっていき、千夜は息をついた。
「君こそ、どうしたの?」
 少し無理にだが、笑ってみせる。
「お前を探してたんだ。こっちに来てたって聞いたし」
 沢村は千夜から目を逸らし頬を掻く。
「バイト先で水族館のチケットもらってな、二枚。日曜日に一緒に行かねえか」
「水族館?」
 前に話したことがある。海の生き物が好きだと。
 千夜はどこか小悪魔的な笑みを浮かべた。
「それは、デートのお誘いかな?」
「ち、違う! いや、違わねえ、けど!」
「じゃあ是非、エスコートしてもらおうか」

 日曜日、電車で一駅のところにある水族館の前で沢村は待っていた。
「やあ、沢村君」
 時間ぴったりにやってきた千夜はニットのワンピースにタイツ、そしてキャスケットという格好。
 いつもの制服とは違うその姿に、沢村は鼓動が高鳴るのを感じた。
「おう」
「待った?」
「いや、今来たところだ」
 実際は三十分前についていたのである。
「そっか、じゃあ入ろうか」
 中に入ると、最初に大小様々な魚が泳ぐ大水槽がある。
 薄暗い館内で青い光を放つ水槽は、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「これ好きなんだよね。凄くきれい!」
 千夜はそれを見ると目を輝かせる。
「ああ、きれいだよな」
「鮫もいるよ、おっきいねー」
 子供のようにはしゃぐ千夜に、沢村は小さく笑ってしまう。
「知ってる? 鮫っておちんちん二本あるんだよ」
「そういうこと言うな!」
「あ、ほら、あれあれ」
「指差すなって!」
 そんな調子で、なかなかロマンチックな雰囲気にはならない二人。
「次はクラゲ見たいなー」
 千夜は館内の奥にあるクラゲのコーナーへと駆けていく。
「おーい、走んなって」
「はーい」
 千夜が振り返った時、「あっ」と声がした。
「ん?」
 聞き覚えのある声に千夜沢村の後ろに目をやると、ルカがこちらを見ている。
 眼鏡はそのままだが三つ編みは解いて、長い黒髪がウェーブしている。花柄のワンピースが似合っており、学校で会った時と違う印象だ。
「誰?」
「図書委員の子」
「鈴原ルカです」
 ルカはじっとりとした目で二人を見る。
「デートですか? 先輩たちは」
「うん。君もデートじゃないの? お洒落してるし」
「私の隣に誰か見えますか?」
「いや、相手がお手洗いにでも行ってるのかと」
「私は一人で来たんです」
 その態度から察するに、誰かと来ようとしたが断られたとかであろうか、と千夜は推理する。
「あの、海戸先輩」
 ルカは真剣な表情で千夜を見る。
「デート中申し訳ないんですが、ちょっといいですか?」
 尋ねられ、千夜はちらりと沢村の方を向いた。
 彼は察したように腹を押さえると、
「俺、腹痛くなってきたから便所行ってくる!」
 と、駆け出していった。
 ――空気読めるなあ……。
 千夜は肩を竦め、「どうしたの?」と尋ねた。
「海戸先輩は、何のために香川先輩のことを調べてるんですか?」
「あー、そうだね。ある人に頼まれて、とか?」
 そう言いながら、ルカの鋭い視線から目を逸らす。
「自分の意思じゃ、ないんですか?」
「うん、まあ」
千夜が取り繕うように苦笑すると、ルカは苛立ったように拳を握り締めた。
「香川先輩は、貴女に憧れてました」
「え?」
「海戸先輩の貸し出しカードを見て、凄いって言ってたんです」
 週に三回ほど図書室で本を借りているが、自分は何か特別なことをしただろうかと首を傾げる。
「海戸さんはこんな難しい本をハイペースで読んでて凄いとか、かっこいいとか、言ってました」
 ――だから私に、何て言えっていうんだ。
 その言葉を飲み込んで、千夜は「そっか」とだけ言った。
「先輩が自分の意思で犯人探しをしてくれてるのかなって、私、少しだけ嬉しかったんです。――でも、人に頼まれたからだったんですね」
 ルカは肩を落とし、
「香川先輩が、かわいそう」
 と、言ってから首を振った。
「すみません、先輩を責めるつもりはなかったんです。すみません」
「いいよ、気にしないで」
「わ、私、もう行きます。デートの邪魔をしてすみませんでした」
 ルカはワンピースの裾を翻し、駆けていった。
 千夜は頬を掻き、溜め息をついた。
 ――憧れてたって言われても……。
「そんな人間じゃないよ、私は」
「もう話、終わったか?」
 その声に振り返る。沢村が戻ってきたのだ。
「ああ、うん。終わったよ」
「そうか」
 沢村は「これ」と言って売店の小袋を千夜に渡す。
「ん、なに?」
「いや、クラゲ好きみてえだから」
 開けてみると、クラゲのキーホルダーが入っていた。プラスチック製で青く透き通っており、千夜好みのものだ。
「君も、こういうテクニック持ってたんだね」
「は?」
「いや、ありがとう。大事にするよ」
 千夜は微笑み、それをバッグに付けた。

 その後はペンギンを見たりイルカショーを見たり、デートらしい時間を過ごした。
 そして千夜は、夕方の帰り道を一人歩いていた。
 夕方の街は、夜とは違った淋しさを感じさせる。
「帰ったら一人かー、つまんないな」
「それなら、私と一緒にドライブでもしないかい?」
 その声に、はっと車道を見た。
 白い車の窓から、月船が顔を出した。
「結構です」
 殺人鬼の車に乗るなど、さすがの千夜も怖くてできない。
「そうかい? じゃあとりあえず、これだけ」
 月船は大きめの紙袋を千夜に手渡す。
「何ですか、これ」
「中学時代の香川弓子のことを、私なりに調べてみた。君に丸投げはさすがに申し訳ないからね」
 女子高生を四人も殺している男が、こんなことで『申し訳ない』などと言うのはどこか滑稽だった。
「はあ、なるほど」
 千夜は肩を竦めた。
「じゃあ、ありがたくいただきます」
 そう言って歩き出すと、月船は苦笑して車を発進させた。

 マンションに戻ると、千夜はソファに腰を下ろした。
 そして、紙袋から封筒を取り出す。
「香川さんの、情報ね」
 中の書類を取り出し、目を通す。
 ――家族は両親のみ、中学は……。
「あれ、白百合女学院に通ってたんだ。あそこは中高一貫のはずだけど、何でわざわざ晴常に……。というか、紙袋に入ってるのって……」



第三章
「やれやれ」
 翌日の放課後、月船から渡された白百合女学院の制服に公衆トイレで着替えた千夜。
「さすがお嬢様学校って感じだなー。可愛い制服」
 ワンピース型の白いセーラー服の胸元には百合の刺繍、袖と裾に施された青いラインも洒落ている。
 バスで三十分程の白百合女学園に向かう間、千夜は考えをまとめていた。
 ――香川さんの同級生だった子たちのいる高等部で、学生のふりをして聞き込みをする。全学生の顔を覚えている子なんていないだろうし、いけるはず。
「学園生なら噂が好きな年頃だよね、上手く話を引き出さなきゃ」
 ぽつりと呟き、白百合女学院前でバスを降りる。
「おー」
 キリスト教系の学園のためか中等部と高等部、二つの校舎は教会のようで、少女漫画にでも出てきそうな外観だ。
 小さな植物園まであることに驚き、千夜は入ってみようかと思ったものの、目的を優先する。
 まずは木陰のベンチに座っている二人の女子学生に声をかけることにした。
「ねえねえ、ちょっと聞いていいかな?」
「あら、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう。きちんと挨拶をしないと、先生に注意されてしまいますわよ」
「ああ、ご機嫌よう。転校してきたばっかりだから、まだ慣れてなくて」
 お嬢様学校と呼ばれるだけはあるなあ、と千夜は適当な嘘をついて話を進める。
「あの、香川弓子さんって知ってる 中等部までここに通ってたらしいんだけど」
「香川さん? 存じ上げませんわ。お姉様はいかがでしょう?」
「そうね、同じ学年だったから知ってはいるけど……、どうして彼女のことを?」
「この間亡くなったって聞いたから、ちょっと気になっちゃって」
 好奇心旺盛なふりをし、聞いてみせる。噂好きのこの年頃なら、この方が話しやすいはずだ。
 しかし『お姉様』は溜め息をつく。
「好奇心で亡くなった方のことを詮索するなんて、下品だわ。行きましょう」
「はい、お姉様」
 二人は千夜の考えに反し、不快感を露わにして去っていった。
「ありゃ……。まあ、それが正しい反応なんだけどね」
 千夜は肩を竦め、他の学生を求めて高等部の校舎に足を踏み入れた。

 その後も数人に声をかけたが、皆言うことは同じようなものだった。
「下卑た話はおやめなさい」
「ごめんなさい、あまり話したくないの」
「軽蔑するわ、好奇心でそんなことを聞くなんて」
 と、いうように。
「はい、ごもっともです」
 千夜は学生のいなくなった廊下で、窓から夕日を見つめ独り言ちた。
 ――でも、みんな本当にそう思ってるのかなあ。
 などと考えてしまうのは、自分がひねくれているからなのかもしれない、と苦笑する。
「聞き方を変えてみようか」
 例えば、幼馴染だった弓子と同じ学園に転校してきたのに、彼女は不自然に姿を消していた。そして殺害されたなんて信じられない――とでもいうように。
「うん、悪くない」
「何が悪くないのかね?」
 振り返ると、そこにいたのは太った中年男だ。
 不審者か教師か……。千夜は一瞬考えたが、堂々としている様子から後者だろうと判断する。
「先日の試験の点数です」
 千夜は適当なことを言い、微笑んだ。
 しかし男はじろじろと不躾な目で千夜を見ると、
「君、ちょっと来なさい」
 と言って、その腕を掴んだ。
「え、あの、私……」
「いいから来るんだ」
 彼の脂ぎった手の力は強く、千夜を誰もいない教室に引きずり込み、教卓に押し付ける。
「先生、何するんですか」
「先程から学生たちが話していてね。見慣れない女子が妙なことを聞き回っている、と」
「すみません、好奇心で……」
「私は教師じゃない、用務員だ。ここの学生ならそれぐらいは知っているはずだがねえ」
 ――しまった……。
「あの、私、この学校に憧れていて……。制服も可愛いし、校舎も素敵だし……。だから友人に制服を借りて忍び込んだんです、ごめんなさい」
 大事にならないよう、子供らしく可愛い理由を考えて言葉にする。
「そうだね、ここの制服は可愛い。君のようなおっぱいの大きな子には、よく似合っているよ……」
 男は舌なめずりをすると、千夜の胸をいやらしい手付きで撫でる。
 その行為は、千夜をパニックに追いやった。
 ――怖い……。
「悪い子だねえ、君は。不法侵入だよ? 警察に突き出してもいいんだ」
「ご、ごめんなさ……」
「まあ私は優しいから、こういう形で済ませてあげるけどね?」
 千夜の瞳から涙が溢れたかけた時だった。
「何をしているんですか」
 ガラリと戸が開き、冷たい声がした。
 男は慌てて振り返る。
「こ、これはだね……」
「用務員さん、女子学生の間で噂になってますよ。いやらしい目で見られるって」
 黒髪をポニーテールにした学生が、ハキハキとした口調で続けた。
「先生を呼んできます」
「待ってくれ、これは誤解なんだ! この子が誘ってきて……」
 肩を力強く掴まれ、千夜はどうしていいのか分からず頷いてしまう。
「誘われても、良識ある大人なら神聖な学び舎でそんなことはしません」
「この子にも、後暗いことがあるんだ! お互い大事にしないということでいいだろう? な?」
 彼は媚びるようにそう言うと、教室を駆け出していった。
 千夜はぺたりとその場に座り込んだ。
「大丈夫?」
「ありがとう、大丈夫……。えっと、君は……」
 取り繕うような笑顔で、千夜は助けてくれた少女の方を向いた。
「私は貝塚理央。ここの三年生」
「私は、海戸千夜。晴常学園の三年」
 差し出された手を取り、握手をする。
「晴常か、やっぱりうちの学生じゃなかったんだ」
 理央はクスクスと笑う。用務員の男に向けた顔が嘘のように、穏やかな表情だった。
「海戸さん、大胆なことするね。そんなにこの学園に興味あるの?」
「いや、調べたいことがあって。あの、中等部の時にこの学園に通ってた香川弓子さんのこと、知ってる?」
 理央の表情が、暗いものに変わる。何か知っているのだ。
「殺された彼女のことを、調べてるんだけど」
「そっか……」
 理央は俯き、口元を押さえた。
 その目に光るのは、涙だ。
「あれは、現代の切り裂きジャックのしわざじゃ、ないのね……」
「うん、違う」
「そう、なんだ……」
 理央は息をつくと、拳を握り締めた。
「弓子がこの学園をやめた理由、話すわ」
「知ってるんだね?」
「当事者だから」
 理央は、言葉を紡ぐ。
「中等部の頃、私たちは恋人だった」
「恋人?」
 理央は沈みつつある夕日を窓から見つめた。まるで、過去を懐かしむように。
「女子校ではよくある話……、なんてなるわけない。私たちは関係を隠してた。放課後、誰もいない教室で愛の言葉を交わして、キスをしたわ」
 千夜は、黙って聞いていた。
「だけどね、ある日他の子に見られたの。キスしているところを。幸いっていうのかな、影になって、私のことは見えなかったみたい。次の日から、弓子だけが好奇の視線に晒された」
 ――やっぱり、嘘だったんじゃないか。
 この学園の学生にも、好奇心はあるのだ。他人の隠れた恋愛を暴こうとする、下卑た好奇心が。
「それは、視線じゃ終わらなかった。みんな相手を聞き出そうとして、彼女は酷いことをされて……。私はただ、怖かった。だから弓子から遠ざかって、助けることもしなかった。誰も頼れなくなった弓子は、中等部を卒業すると同時に転校していったわ」
「そうか……」
 だから弓子のは母は言っていたのだ。
 ――死んでまで迷惑をかけて……。
 彼女の醜聞は親にとって『迷惑』でしかなかった。
「全部、分かった……」
 すっかり冷静になった頭の中で、全てが繋がった。

 その夜、千夜は夢を見た。
 じっとこちらを見ている少女がいる。
 ――香川さんだ。
 千夜はどこか後ろめたくて目を逸らした。
 それでも弓子は、ただ千夜を見つめている。
 千夜は、目を合わせることができない。
 ――香川さんがかわいそう、か……。
 ルカの言葉を思い出す。
「あんまりさあ、見ないでよ。私は君のために何かしてるわけじゃないんだ」
 突き放すような言葉を口にして、千夜は頭を掻いた。
「誰かのために、何かできるような人間じゃあないんだよ……」
 でも……。
 ――目を、逸らしてはいけない。
 月船はそう言った。闇に、飲まれると。
 そう、この弓子は千夜の中にある闇だ。
 目を逸らしたら、自覚しないまま闇に飲まれる。
 千夜は弓子に目をやった。
 きっと、助けを求めている人間はこういう目をするのだろう。
 ――あの時のキスは……。
 やっと、気付けた。
 ――君は、私に……。
 千夜は拳を握り締めた。
「大丈夫、この事件は、私が解決するから」

 放課後、生物室での授業が終わると千夜は平静を装って立ち上がった。
 これから自分はきっと恐ろしいものを見ることになるのだろうと思いながら。
「千夜」
 沢村の声に振り返る。
「ん、何?」
「教室、戻らねえのか? 荷物置いてきてるだろ」
 千夜はにっこりと笑った。
「先生に質問があるから、先に戻ってて」
「そうか?」
 生物室から学生たちが出て行くと、千夜は教卓で教科書などをまとめている国本に声をかけた。
「先生、あの……」
「何かね」
「先日使っていたハンカチを返してください。あれは私が香川さんに貸したものです」
 国本は一瞬固まった。
 だが、ぎこちない笑顔を浮かべ、ポケットからハンカチを取り出す。
「ああ、君のだったのか。弓子に借りていてね……」
 千夜はそれを受け取り、息をついた。
「先生が香川さんと愛し合っていたというのは、嘘ですよね」
 国本の顔が、歪む。
「何を言っているんだ、私たちは確かに愛し合っていたんだよ。その証拠に……」
「香川さんは、同性愛者だったんです」
 千夜はそのまま言葉を続けた。
「中学時代、校内で女子学生とキスしていたのを教師が見付けて、問題になったそうです」
「それは、中学生の時のことだろう。学園生にもなれば、それが間違いだったと分かる」
「同性愛を間違いと言っていいのかは知りませんが、彼女は私にキスをしました。それが、彼女が今も女性を愛している証拠です。愛し合っていたというのは、先生の嘘か妄想……」
 国本は千夜の腕を掴んだ。そして引きずるように準備室へ押し込む。
「わっ!」
 床に尻餅をついた千夜を見下ろす国本。
「君に見せてあげよう。私と弓子の愛の結晶を」
 準備室にはホルマリン漬けの生物標本が置いてある。
 国本はその一つを取ると、千夜に見えるよう目の高さに下げた。
「やっぱり……」
 ――胎児だ……。
 千夜の三つ目の考えは当たっていた。彼が弓子の腹を裂いたのは、胎児を取り出すためだったのだ。
「この子が、私と弓子の愛の証だ!」
 国本は狂ったように笑う。
「彼女はこの子を堕ろすと言ったから殺した。そして、この子を『保管』した。――いやいや、しかし何故彼女が私を拒んだのかと思ったが、そうか、君が彼女を、唆したのか」
「唆した?」
 千夜は国本を睨み付ける。
「彼女は、助けを求めていたんです! 貴方に犯されて妊娠しても、両親には言えない。一人で抱え込んで……、それが、あのキスだったんだ」
 今思えば、弓子はすがるような目をしていた。助けを求めていたのだ、他ならぬ自分が憧憬を覚えた千夜に。
「それこそ、妄想だ!」
「確かに、私の想像です。でも、貴方が香川さんを殺したのは、紛れもない事実です」
 千夜はポケットからスマートフォンを取り出した。それは録音状態になっている。
「確かに言いましたよね、殺したと」
「この……」
 国本はホルマリン漬けを置くと、千夜の胸倉を掴んだ。
「きゃっ!」
「千夜!」
 準備室のドアが開く。
 入ってきた沢村が、国本の頬を強く殴り付けた。
「うっ」
 国本は棚に体を打ち付け、呻き声を上げる。
 沢村は千夜の手を掴んだ。
「大丈夫か!」
「うん、ありがと」
 千夜は微笑む。
「うう……、私と、弓子は……」
 国元の声に、はっとする二人。
 だが、彼は項垂れたままただ呟く。
「愛し合っていたんだ。弓子は私に微笑みかけて、訊いたんだ。愛とは何かと……。それは、私に愛情を教えてほしかったからだろう……」
「ええ、教えて欲しかったんでしょうね。生物学的に、自分が抱く愛が間違っていたのか」
 千夜は、答えた。

 その後、警察に連絡した千夜は署で話を聞かれた。
 彼女はただ、見て聞いたことを話した。――月船のこと以外。
 千夜が解放された時、外は暗くなりかけていた。沢村は待つと言っていたが、千夜は先に帰ってくれと答えたのだ。
「やれやれ、図らずも名探偵になっちゃったよ」
 千夜が一人で呟き、警察署を出ると一台の車が止まった。
「やあ、家まで送るよ」
「お願いします」
 彼が来るだろうと思っていた。今回、千夜は月船の車に乗り込んだ。
「でも、大丈夫なんですか? 現代の切り裂きジャックがこんな所に来て」
「大丈夫。証拠は残してないから」
「それならいいんですけど」
 月船は運転をしながら話し始める。
「事件を解決した気分はどうだい?」
「不思議な感じです。まるで……」
 千夜は胸を押さえる。
「犯人の殺意と狂気が、私の中に流れ込んでくるような感覚でした」
「そうだ、やっぱり君には素質がある」
「素質?」
「人を殺す――殺人鬼になる素質だよ」
 丁度車が赤信号で止まった。
 月船は千夜の方を向き、笑う。
「君は今、蛹なんだよ。これからたくさんの事件に関わっていき、どんどん殺意と狂気を吸収していくんだ。そしていつか……」
 信号が青になり、月船は前を向いた。
「殺人鬼として、羽化すればいい」
「殺したい人間はいますよ、確かに」
 千夜は事も無げに言う。
「でも私はまだ、この気持ちをどうすればいいのか分からない。――だから貴方の生き様を見せてください。人を殺す者の末路が、どんなものになるのか」
 月船は「ははは」と笑った。
「ああ、存分に見てくれ。そしてどうか心の片隅に、私の殺意と狂気を留めておいてくれ」
 千夜は黙って頷く。
「さあ、ついたよ」
 車が止まる。もう千夜のマンションに着いていた。
「これからも。私は君の活躍に期待しているよ」
 車を降りた千夜に、月船は微笑みかけた。



エピローグ
 彼女の過去の話をしよう。
 千夜は、父親を知らずに育った。
 父は死んだとだけ、聞かされていた。
 たまに田舎から遊びにきてくれる祖父はとても優しく、父の日には彼の絵を描いた。
 叔父も千夜のことを気にかけ、よく遊んでくれた。
 母は厳しくも優しく、惜しみない愛情を注いでくれた。
 金銭的な苦労もなく、決して不幸ではなかった。
 むしろ、幸せだった。
 愛された育った彼女は、父親も同様に自分を愛してくれていたのだと信じていた。
 そう思えば、父の不在など些細なことに思えた。
 だが、ピアニストの母がコンサートへ行く途中に事故で他界したことから、世界は変わっていく。
 葬儀の後、祖父と叔父は千夜のマンションでこれからのことを話し合っていた。
 ショックと疲れで一人早くに眠っていた千夜だったが、ふと目が覚めた時、その話を聞いてしまう。
「あの男にも、姉貴が死んだことを知らせるべきじゃないか?」
「いや、もしあれが千夜に会いにきたらどうする」
「でも、父親なんだ、千夜の……」
 父は、生きている。
 思えば気付くべきだったのだ。父の名を口にせず、写真も見せない母を疑うべきだったのだ。
 千夜は戸籍謄本で初めて知った父の名を、インターネットの検索ボックスに打ち込んだ。
 今の時代はとても便利だ。エンターキーを押すと、大学のホームページがヒットした。
 父の名と写真は、講師一覧の中にあった。
 どこにも故人という表現は見られない。ホームページも最新のものだ。
 ――やっぱり、生きてるんだ。
 電車で二時間ほどかかる市外の大学に、千夜は向かった。
 大学内で迷っていた千夜に声をかけたのは、偶然にも写真で見た父だった。
「あの、千夜です。貴方の、娘の……」
「ああ、千夜か」
 父が自分の名を呼んでくれた。
 それが堪らなく嬉しかった。
 共に暮らせなかったのは、何か理由があってのことだったのだ。
「私には新しい家族がいるんだ。会いにくるな、迷惑だ」
「え?」
「家族を大事にしたいんだ、分かるだろう?」
 それだけ言うと、父は去っていった。
 何かの間違いだったのかもしれない。
 帰宅した千夜は、まだマンションに滞在していた祖父にそのことを打ち明けた。
 祖父は苦々しい表情で全てを語った。
 父が、母に暴力を振るっていたこと。
 母が、千夜を連れて逃げたこと。
 その後、父が再婚したこと。
 祖父は、もうあの男に関わらないように言った。
 千夜は頷いた。
 しかし、一度ついた憎しみの火が消えることはない。
 ――お母さんに、暴力を振るってた……。
 あの優しい母を傷付けた。
 ――それなのに、家族を大事にしたい?
 そんな男が、再婚してのうのうと幸せな家庭を築いている。
 ――死ね。
 憎しみの火は激しい物へと変化していく。
 ――いや、私がこの手で殺してやる……。
 殺意が、芽生えた。
 しかし彼女は、自分を愛してくれる者たちの存在をブレーキにすることができた。
 ――私が人を殺せば、悲しむ人がいる。
 そう思えば思うほど、頭の中はぐちゃぐちゃになった。
 ――殺したい、殺してはいけない……。どうしたら、いいんだ……。

 スマートフォンがメールの受信を告げる。
「誰かなー」
 千夜はメールを確認した。
『大丈夫か?』
 沢村からだった。
「大丈夫っと」
 千夜が返信すると、すぐにまたメールが返ってくる。
『今度、遊園地行こうぜ。デートの誘いだ』
 千夜は笑みを浮かべると『行きたい!』と返信し、日常へと戻っていった。
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テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

  1. 2017/12/29(金) 20:46:46|
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