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小説『空がとても青いから』

 僕あま修正版です。一部キャラや誤字を直しました。
 目の前で屋上から飛び下りた少年のことを調べるうち、風切は事件に巻き込まれていく。


『空がとても青いから』

プロローグ
 まだ梅雨には早い六月。その日は空が青かった。
 だからだろう、風切誠助が放課後屋上へと来たのは。
 屋上へのドアを開けると、風が彼の後ろでまとめた金髪をなびかせる。
 風切が通う晴常学園は海に近く、屋上は絶景を眺めるのに絶好のポジションだった。
 だが、先客がいた。
「おい、何やってんだよ!」
 その少年は、胸ほどまでの高さがある柵の向こう側にいたのだ。
「空が、とても青いから」
 彼の唇が動くのを見ながら、風切は駆け出していた。
「飛び降りるなよ! 待ってろ!」
 そう叫び、彼を助けようとする。
 しかし、遅かった。
 少年はこちらを向いたまま、ゆっくりと後ろに倒れていく。
 風切の目の前で、彼は飛び降りたのだ。
 勢い余って柵にぶつかった風切の視界には、遥か遠い地面が映っていた。
 少年の血が地面に吸い込まれていく様子。気付いた学生たちの悲鳴。駆け付けてくる教師たち。
 それら全てが、風切にはどこか遠く思えた。

「おはよ、風切君」
 翌朝、三年一組の教室に入ってきた風切を迎えたのは海戸千夜だった。
 黒いボブカットの髪に凛々しい顔立ち、更に晴常学園一の大きさを誇るバストを持つ彼女は男子から人気がある。
 だが、二人はれっきとした友人だ。互いに恋愛感情などは持ち合わせていない。
風切は「おう」とだけ言うと、教室の窓側後方にある自分の席に着いた。
千夜はすたすたとその後を追うと、その斜め前の席に着く。
「災難だったね」
 そう言って、座ったまま足をぶらぶらと前後に動かす千夜。
「そうだな、昨日は警察に事情聞かれて、バイト休むハメになったし」
 風切はそう言って溜め息をついた。
「おい、風切」
 千夜の隣の席で長い足を組んでいた茶髪の少年が、コンビニで売っているようなポケット菓子をポンと風切に放り投げる。
 目付きの悪い所謂不良というタイプの彼、沢村俊樹の不器用な優しさに風切はようやく笑った。
「サンキュー」
「さすが沢村君、そういう優しいとこ好きだよー」
「うるせーぞ、千夜」
 千夜と沢村は恋人同士である。正反対に思えるカップルを見つめる風切の瞳は優しい。
「大体お前は、そのことを気にしている場合じゃないだろう」
 風切の隣で教科書を読んでいた少女、鷹川冷奈がむっすりとした顔で言う。
「何で?」
「お前、この間の実力テストの自分の順位を見たのか? 下から十番目だぞ。このままだと卒業も危ういんじゃないか」
「う、うるせーな! 何で俺の順位までチェックしてんだよ!」
「一応仮にも友人として、忠告してやってるんだ」
 冷奈はセミロングの茶色の髪に端正な顔立ちをしたスレンダーな優等生で、いつも上位の成績を取っている。
「まーまー、テストの順位なんてどうでもいいじゃない」
 そう言って、千夜は笑う。
「それは学年一位のお前が言う台詞か?」
 冷奈はじっとりとした目で千夜を見つめる。
「嫌味にしか聞こえねー。な、風切」
 後ろから風切の肩を叩いたのは、ひょろりと背が高く分厚い眼鏡をかけた男子、秋葉貴弘だ。
「えー、酷いなー」
 千夜は言葉とは裏腹に明るく笑う。
 そんな彼らを、他の学生たちはちらちらと見ている。
 学生の自殺という大事件の場に居合わせた風切のことが気になるのだ。
 しかし、彼らの会話に入っていく者はいない。
 五人はクラスから浮いているわけではないが、揃うとどこか他の者たちには入りづらい空気を生み出していた。
 それが友情故のものなのか、他の理由があるのか、誰も知らない。



第一章
 六時間目終了のチャイムが鳴る。
「今日はここまでだ。ここはテストに出るから憶えておくように」
 古典教師がそう言って教室を後にすると、学生たちは一斉に騒ぎ出す。
 昼のホームルームで自殺した学生についての話があったが、学年が違うせいもあってか暗い雰囲気になるということはなかった。
 ただ、風切はその学生の名を心に刻み込んでいた。
 ――明里高斗っていうやつだったんだなー。
 心の中でその名を繰り返し、重い頭を机に載せてぼんやりとする。
「おい」
 すると丸めた教科書でポコンと叩かれた。
「いてっ。何すんだよ、冷奈ー」
 風切は体を起こし、そちらを向く。
「お前、授業を聞いてたのか?」
 冷奈は腕を組み、風切を睨んだ。
「え、まあ、聞いてたはず……」
「数学の教科書で古典を勉強する気か」
「あ」
 冷奈の指摘した通り、風切が机の上に出していたのは数学の教科書だった。
「あー、やっべ、うっかりしてた。つか授業が終わる前に言えよ」
「そこまでしてやる義理はない」
「まあまあ、教科書が違うとか些細なことだよ。そもそも、風切君は古典の教科書さえ出してたら授業を理解できてたの?」
 千夜が振り返り、飄々とした口調で言う。
「ん、ちょっと待てよ。それって俺のこと馬鹿にしてる?」
「皮肉を理解できるようになっただけ賢くなったらしいな」
 追い打ちをかける冷奈。
「千夜、あんまり風切をいじめてやるなって」
 沢村が溜め息をつく。
「えー、だって風切君をからかうと面白いんだもん」
 千夜が笑うと、秋葉も「確かに」と頷き後ろから風切の頭をわしわしと撫でた。
「要するに愛され系なんだよ、風切は」
「くだらんな」
 冷奈は肩を竦めた。
 クラスメートたちが教室を出ていく中、入ってくる者が一人。
 茶色の髪をした目付きの悪い男子学生は、
「すいません、風切先輩はいますか?」
 と、誰が相手というわけでもなく口にする。
 風切は「俺か?」と、立ち上がった。
 その反応に気付いた少年はすたすたと彼らの方へ歩み寄る。
「あの、平井康一郎といいます。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
 真っ直ぐな瞳が風切を射抜く。
 風切は髪の色のせいもあり、二年まではよく上級生に呼び出されることがあった。しかし今、この後輩は何の用があるのだろうと首を捻る。
「先輩が明里の自殺現場にいたって、ほんとですか?」
 『明里』、『自殺』というワードははっきりと響き、帰ろうとしていた学生たちもこちらを向く。
「おい、それは今ここで話さなくてはいけないことか」
 一番反応が早かったのは冷奈だった。やや厳しい口調に、平井は一瞬だけ臆した様子を見せる。
 だが、彼はすぐに自分を取り戻す。
「確認するにはここに来るしかないと思って。風切先輩がここで話したくないなら場所を移します」
「ま、場所は移した方がいいだろうね。この年頃は好奇心旺盛だし?」
 千夜はニヤリと笑い、
「いっそ屋上行けば? きっとゆっくり話せるよ」
 と、続けた。
 平井は千夜を睨み付け、一歩前に出る。
「おい、やめろ」
 沢村は千夜を庇うように腕を回す。
「今の言葉は、俺に喧嘩売ってますよね」
 平井の冷たい視線を受けても、千夜はどこ吹く風。
「おいおい、先に喧嘩売ったのはどっちだよ」
 秋葉は落ち着いた声で言葉を紡ぐ。
「目の前で人が死ぬってどういうことだか分かってるか? ショックも受ければ周りから注目もされる。ちょっと無神経じゃないか、お前の聞き方は」
 ピリピリとした空気を感じ、風切は「あー!」と声を上げた。
「いいっていいって、俺そういうの気にしないし! ま、さすがにここで話すのはあれだけどさ。平井だっけ、お前もただの好奇心で聞きに来たわけじゃないんだろ?
 風切の言葉に、平井ははっとした様子を見せ「すいません」と頭を下げた。
「俺は、明里の親友なんです。好奇心で来たわけじゃありません」
「最初にそう言ってくれればいいんだよー」
 風切はとりあえず笑い、平井の肩を叩いた。
「ま、場所を移して話そうぜ。どこがいい?」
「食堂とか、今はあんまり人いないんじゃない」
 千夜の言葉に、平井は頷いた。
「じゃあ、食堂でお願いします」
「おう、行くか」
 風切は立ち上がり、友人たちの方を向く。
「こういう話はさ、俺だけのほうがいいと思うんだ」
「大丈夫なのか?」
 冷奈はちらりと平井を見る。まだ不信感を拭い切れていないらしい。
「大丈夫大丈夫、俺強いし」
 確かに、今まで上級生に呼び出された時は返り討ちにしてきた。
「俺、暴力とか振るうつもりはないですけど」
 平井の方も、冷奈にはあまりいい印象がないようだ。
「ほら、早く行くぜ。平井」
 再びピリピリした空気にならないよう、風切は平井の腕を掴んで駆け出した。
 残された四人は顔を見合わす。
「厄介事に巻き込まれるに千円」
「俺も」
 千夜と秋葉がそう言うと、沢村は「賭けしてんなよ」と溜め息をつく。
「そもそも、全員同じじゃ賭けにならん」
 冷奈は腕を組み、眉間に皺を寄せた。

 放課後の食堂は確かに人が少なかった。数人の学生がパンを買いに来る程度だ。
 奥の方に陣取った二人は、向かい合って座る。
「えーっと、まず、聞きたいことって何だ?」
 風切は愛想笑いと共に尋ねる。
 平井は先程のように真っ直ぐな視線を風切に向けた。
「明里は、本当に自殺したんですか?」
 風切は目を瞬かせた。
「あれは……、自殺だろ」
 思い出したくない光景を脳裏に浮かべる。
 明里は誰かに突き落とされたわけではない。事故でもない。自分の意思で飛び下りたのだ。
「そうですよね……」
 平井は難しい顔で風切から目を逸らした。
「あいつは、死ぬ前に何か言ってましたか?」
「んーと、ちょっと待てよ」
 風切は頬を掻き、記憶をたぐり寄せる。
 ――空がとても、青いから。
 その言葉を、思い出した。
「空がとても青いからって、言ってた気がする」
「空がとても、青いから?」
「ああ、何してんだって言ったら、そう返ってきたな」
「他には何かありませんでしたか?」
 平井は身を乗り出し、更に問いかける。
「えーと……、思い出せねえ。というか、それだけだったと思う」
「そう、ですか……」
 平井は下を向くと、「空がとても青いから」と呟いた。
 風切は居心地の悪さに視線を彷徨わせる。
「あのさ、俺が話せることって、これくらいなんだけど」
「あ、はい。ありがとうございました」
 平井は我に返り頭を下げる。そして立ち上がると。
「失礼なことも言ったかもしれません。すみませんでした」
 と言い切り、食堂を駆け出していった。
 風切はそれを見送ると溜め息をついた。
「あー、やっぱつれえわ」
 額を押さえて、上を向く。
「人が死ぬところを思い出すって、きついな」
 しかし、と風切は平井のことを思い返す。
「親友が自殺するって、もっとつれえんだろうな」
 ――空がとても、青いから。
「何でそんな理由で死ぬんだ?」
 風切の中に疑問が生まれていく。
「俺に何か、できることってねえのかな」
 ぼんやりとそう呟いたが、自ら死を選んだ後輩のためにしてやるべきことなどあるのか。
 ――俺、明里ってやつのこと全然知らねえし。
 それなのに、彼のことが忘れられない。記憶が、フラッシュバックする。
 思えばほんの一瞬だけ、明里はこちらに手を伸ばそうとはしなかっただろうか。
 それが記憶違いなのか、事実だったのかは正直定かではない。
 ――あの手を、掴んでやりたかった。
 そう思いながら、風切は立ち上がった。
「俺はどうにかして、あの手を掴むべきだったんだ」
 記憶違いでもいい。それでも、風切は自分のすべきことに思いを馳せた。
 伸ばされた手を、拒絶するわけにはいかない。

 風切が教室に戻ると、残っていたのは冷奈と千夜だけだった。
「おかえりー。沢村君と秋葉君はバイトね」
 千夜は手を振り、そう告げる。
「お前らは?」
「私たちは塾まで学校にいる」
「学校からの方が近いからな」
 この二人は帰宅部でバイトもしていない。その代わり、週に三日塾に通っている。大手のため入塾テストで分かれるらしいが、共に一番成績の良い者のクラスなのだそうだ。
「何か言われたか?」
 冷奈に問われた風切は「うーん」と息をつく。
「本当に自殺だったのかとか、何か言ってなかったかとか、それくらい」
「本当に自殺だったのかってそれ、遠回しに疑われてない?」
 千夜の言葉に、「まさか」と風切は笑って椅子に座る。
「そこまで敵意は感じなかったぜ」
「それならいいんだけど」
「俺、ちょっと明里のこと調べてみようと思うんだ」
 何気ない口調で言い、それとなく二人の顔を伺う。
「いいんじゃない?」
「そんな暇があるならな」
 二人が否定的なことは言わず、風切としてはほっとする。
「それでさ……」
「手伝いならするよー。どうせ暇だし」
「私は暇じゃない。だが、多少なら手伝ってやる」
 風切は思わず二人の手を握ったが、冷奈はそれを振り払う。
「お前の成績がこれ以上下がるのを防ぐためだ。放っておいたら今まで以上に勉強に身が入らんだろう」
「お、おう!」
「ま、今日はあと一時間ぐらいしか時間ないけど、サポートするよ」
 千夜はそう言って立ち上がり、歩き出す。
 どこへ行くのかと不思議がる二人の方に振り返ると、にっと笑った。
「この学校の情報屋のとこ」

 千夜は先程までいた教室のある南棟の海側、更に南にある二階建ての文化部棟の廊下をすたすたと歩き、一番端にある部屋の前で止まる。
 そのドアには『漫画研究部』というプレートが掛かっている。
「ここって、漫研?」
「そう、漫研」
 風切の問いに頷くと、千夜はそのドアを開け放った。
「やあ、元気?」
 明るく挨拶をすると、アニメのポスターが貼られた部室で三人の女子学生がこちらを向く。
「あ、海戸せんぱーい! どうしたんですか?」
 茶糸の髪をショートツインにした小柄な女子が嬉しそうに立ち上がる。
「安本さんたちにちょっと聞きたいことがあってね。あ、この二人は私の友達の風切君と鷹川さん」
 千夜が二人を示すと、安本と呼ばれた少女は、
「安本るるです。よろしく、先輩方」
 と、お嬢様よろしくスカートの裾を摘んでお辞儀をする。
「あ、ああ、よろしく」
 風切は少し戸惑いつつも右手を上げた。
「で、後の二人が」
「山里瞳です」
「佐川リナです……」
 瞳という少女は黒髪をショートカットにしており、背が高く意志が強そうだ。対照的に、リナの方は長い金髪をウェーブさせており、おずおずとした様子だった。
「三人とも二年生なんだけど、この学校の学生のことに一番詳しいと思うよ」
「買いかぶり過ぎです」
 千夜の言葉に瞳はクールに返す。リナの方は真っ赤になって首をふるふると振る。
「で、先輩は何が知りたいんですかあ?」
 るるはそう言って千夜の手を握る。
「昨日自殺した明里君のこと」
 部室内の空気が一瞬凍った。だが、千夜はそんなことは気にせず言葉を続ける。
「この風切君が目撃者でさ、色々気にしちゃってるの。教えてくれないかな?」
 そして、まるで男が女を口説くようにるるに顔を近付けた。
 するとるるは「はい!」と嬉しそうに声を上げ、瞳とリナの方を向いた。
「二年男子のファイルどこだっけ、瞳ー」
「もー、ほんとは外部に漏らしちゃダメなんだよ? あくまであたしたちのネタ用なんだから」
 瞳はやれやれと溜め息をつき、後ろの棚にずらりと並ぶファイルの中から一冊を選んだ。
「なあ、ネタ用ってどういうことだ?」
「私が知るわけないだろう」
「だよな」
 風切と冷奈は小声で囁き合う。
「ファイルの貸し出しとかは?」
「それは海戸先輩でもだめですよお」
「じゃあ、明里君のことだけ教えてよ」
 ここでるるは、少し迷うような仕草を見せる。
「あ、でもー、先輩ってば最近会いに来てくれなかったからなー」
「仕方ないな、どうしてほしい?」
 千夜はにやりと笑った。
 その妖しさに風切と冷奈は一歩引いたが、瞳とリナは慣れているのか表情を変えない。
「あたしのこと、好きって言って?」
 るるが拗ねたような口調で千夜を見上げる。
「それだけでいいの?」
 千夜はるるの頭を抱くと耳元で、
「好きだよ」
 と、艶かしい声で囁いた。
 るるの顔がぽっと赤くなり、ファイルを持っている瞳の方を向く。
「何でも教えちゃいましょ! 瞳、リナ!」
「ほんとあんたは海戸先輩のこと好きねー。まあいいけど」
 瞳はファイルを開き、風切に問いかける。
「明里の何が知りたいんですか?」
 ぽかんとしていた風切は我に返って頭を回そうとする。
 しかし、自分が何から調べていいのかとっさに思い付かない。
「えっと、何で死を選んだのか、とか?」
「そこまではあたしたちも知りませんよ。噂だと遺書も無かったらしいし」
「え、無かったのか?」
「だから風切先輩の証言が無かったら、事件になってたかもしれないんですよ」
「マジ?」
 風切は刑事から何度も状況を聞かれたことを思い出した。
 ――だからあんなに執拗に確認してたのか。
「とりあえず、明里というのはどういう学生だったんだ?」
 冷奈が尋ねると、瞳はファイルを見つめながら口を開く。
「結構苦労してたみたいですよ」
「苦労?」
「はい、一年の時に両親が借金抱えて自殺しちゃって、親戚もいないから学費を出すのも大変だったとか」
「へえ……」
 風切は最後に見た明里の姿を思い出した。
「バイトは色々してたみたいだけど、何でか二年になってから全部やめてるんですよね」
「全部やめたって、それでどうやって学費払ってたんだ?」
 風切の疑問に瞳は肩を竦める。
「それも分からないんですよ。ま、お金には困らなくなったんじゃないですか?」
「あ、あの……、宝くじに当たったのかもしれません」
 リナが小さな声で言い、るるは「そうかもねー」と続けた。
「変な話だよね。お金に困って自殺するならわかるけど、お金に困らなくなってから死ぬなんて」
 千夜は顎に手を当てて首を傾げる。
「ちなみに人間関係とかは?」
「バイト漬けだったから校内の友達は少なかったみたいです。平井くらいですね、ちなみに二人とも同じ二年五組です」
「二年五組というと、化学の竹田が担任か」
「おー、鷹川先輩、よく憶えてますね」
「あの教師は教え方が悪い。悪い意味で記憶に残ってる」
「冷奈って教師にも厳しいのな」
 風切は苦笑する。
「教師に質を求めるのは当然のことだ。通知表は教師より学生がつけるべきだな」
「あ、それは面白そうだね」
「話が逸れてるって」
 風切はそう言うと、「うーん」と考え込んだ。
 ――何で明里は金に困らなくなったのか、だよな……。
「他に何か知りたいことあります?」
「バイトをやめてからのことだからバイト先は関係ないよなー。わりい、平井についても教えてくれねえか?」
「ま、いいですけど」
 瞳はぺらぺらとファイルをめくる。
「平井はまあごく普通の家庭環境で、一年の時からバスケ部に入ってて結構友達も多いです。でも、一番の親友っていえるのは明里だったとか」
「そっか、だからあんなに真剣だったのか」
「ちなみに友達になったのは二年になってからですね。席が隣同士になったのがきっかけで」
「へ、へえ……」
 ――何でそこまで知ってんだ?
 風切は頬を掻いた。
「あたしたちが話せることはこれくらいかな、役に立ちました?」
「おう、助かったよ。サンキュー」
 礼を言うと、風切は気になっていたことを尋ねてみた。
「ちなみにさ、俺らのことも詳しかったりすんの?」
「自分の情報、客観的に聞きたいですか?」
 瞳の言葉に、風切は慌てて首を横に振った。
「遠慮しとく」
「私もだ」
 冷奈もそう答え、千夜の方を見る。
「私もいいや。私のことを一番知ってるのは私自身だし」
「ま、そうですよね」
「じゃあ、そろそろお暇しようか」
「えー、海戸先輩もう行っちゃうんですかあ?」
 寂しそうなるるを、千夜はぎゅっと抱きしめると、
「ごめんねー、私も忙しいのさ」
 と言い、瞳とリナに「じゃあね」と手を振った。
 漫研の部室を出た風切と冷奈は、前を歩く千夜を見つめる。
「なあ、千夜ってあの子とどういう関係なんだ?」
「彼女は可愛い後輩ってとこかな」
 千夜は振り返り、「ははは」と笑う。
「それ以上でも以下でもないよ」
「向こうはそれだけではないようだったが?」
「安本さんの気持ちまでは知らないな。私は自分を知るだけで精一杯だもん」
「へー」
 風切は呆れつつ思った。
 ――沢村には見せられない光景だったな。

 教室に鞄を取りに戻った三人。
「じゃあ、私たちはそろそろ行くね」
「あ、そうだよな。手伝ってくれてサンキュー」
「気にしないで」
 千夜は笑顔で答えるが、冷奈は少々渋い顔をする。
「あまり、深入りし過ぎるなよ」
 それは風切のことを心配しているが故の言葉だった。
「ああ、気を付ける」
 風切はしっかりと頷く。
 千夜と冷奈が出ていくと、風切は一人になった教室で机にもたれ、息をついた。
「空がとても、青いから……」
 窓から外を見るが、もう空は赤い。夕暮れの色を見せている。
「ほんと、どういう意味なんだろうな」
 風切は腕を組み、普段あまり使わない脳をフル回転させる。
 ――キーは二年になった時に何があったか、か。
 二年になった途端バイトを辞めたというのだから、そういうことになるのだろう。
「まさか宝くじが当たったってこともねえだろうし」
 それならばクラスメートも漫研の部員たちも知っていそうなものだ。
「何か、人に言えない出所の金?」
「まだ残っているのか」
 突然の声に、風切はびくりと体を跳ねさせた。
 教室の入口に、白衣姿の教師が立っている。
「あ」
 そうだ、彼が明里と平井の担任、竹田哲郎だ。
 風切が二年の時に化学の授業を担当していたから顔は覚えている。冷奈のように教え方までは覚えていないが。
 竹田は白髪混じりの髪をオールバックにし、どこか神経質そうな雰囲気を漂わせている。
 風切は、尋ねた。
「竹田先生は、死んだ明里について何か知らないっすか?」
 竹田は目を大きく見開き、ギリッと奥歯を噛み締める。
「興味本位で聞くな。お前には関係のないことだぞ」
「関係なくないっす。俺、目撃者なんで」
 真剣な眼差しで竹田を見つめると、彼は「そうか……」と呟く。
「お前が、そうだったのか……。明里は、何か言っていたか?」
「空が、とても青いから」
「はあ?」
「そう言って飛び降りました、明里は」
「空がとても青いから……、それだけか?」
「はい」
 竹田は少し考え込む様子を見せたが、すぐに風切に背を向けた。
「部活もないなら早く帰りなさい。あまり妙なことに首を突っ込むんじゃないぞ」
 そう言って去っていく竹田に、風切は舌打ちをした。
「妙なことって」
 ――あんたのクラスの学生が、自殺したんだぞ……。
 そう叫びたいのを、ぐっと堪えた。



第二章
 空が青い。やっぱり屋上は良い場所だ。
「ねえ、風切先輩」
「何だ?」
 風切は隣で柵にもたれかかっている明里の顔を見た。
「この空は、青過ぎて溺れそうですよね」
 明里の体が、煙のように柵をすり抜けていく。
「なっ!」
 風切は慌てて彼の手を掴もうとした。
 だが、その手は柵に阻まれる。
「だから俺は、死ぬんです」
 明里はそう言うと、あの時と同じように風切の方を向いたままゆっくりと倒れていく。
「待てよっ!」
 その言葉が届いたかどうかは定かではない。明里の体は、暗く深いどこかへと向かって落ちていった。

「はっ!」
 風切は荒い息をつき、体を起こした。
 ここは屋上ではない。アパートの一室だ。
「夢か……」
 六畳一間の古いアパート。その201号室は風切の住まいである。
「今、何時だ」
 枕元に置いたスマートフォンで時間を確認すると、液晶画面は六時半を示していた。
 カーテンを開けると、外はもう明るい。
「目え覚めちまったし、もう学校行くか」
 風切はそう呟き、Tシャツとトランクスという格好のまま台所に立つ。
 流しで顔を洗い、そのまま簡単な朝食の用意を始めた。
「玉子あるし、フレンチトーストにでもすっかな」
 冷蔵庫を開ける彼の両親はもういない。
 母は小学生の時に出ていき、父親は中学生の時に他界した。
 借金こそ無かったものの、残された貯金は微々たるもので、風切は週三回のバイトでなんとか生計を立てている。
 ――そういうとこ、明里とちょっと似てるんだよなあ。
 だからだろう、風切としては余計に明里のことが気になるのだ。
 出来上がったフレンチトーストを座卓に置き、コップに牛乳を注ぐ。
「いただきます」
 我ながらここ数年で料理の腕は上がったと思う。
「誰かおムコにもらってくんねーかな、なんて」
 一人で冗談を言う自分に苦笑した。
 食べ終えると、皿とコップを流しに置く。洗うのは帰ってからだ。
 風切は学ランに着替え、解いていた髪をまとめる。
「さ、行くか」

 風切のアパートから晴常学園まではバスで十五分程度だ。
 いつもより早く起きたためかバスは空いており、今日は座ることができた。
 ぼんやりと海の見える景色を眺めていると、サイレンを鳴らしたパトカーが追い越していくのが見える。
 ――何か、あったのか?
 胸騒ぎがした。
 ――まさか、晴常学園に向かってるとかじゃないよな……。
「次は、晴常学園前ー」
 そのアナウンスを聞き、風切は慌てて降車ボタンを押した。
 バスは晴常学園から十メートルほど手前のバス停で止まり、風切は定期をかざすとバスを駆け降りた。
「おいおい……」
 二台のパトカーが晴常学園の前に停まっている。
 まだ七時半にもならない今、学生はそれほどいない。いるのは朝練か日直の仕事がある学生ぐらいだろう。
 そんな彼らは、一箇所に集まっている。
 ――校庭。
 南校舎に面したそこは、明里と死んだのと同じ場所だ。
 風切はごくりと唾を飲み込んだ。
 嫌な汗が噴き出る。息が、うまくできない。
 それでも彼は、何が起きたのか確かめるため、そこに向かった。
「風切!」
 学生たちの中からこちらに手を振っているのは、秋葉だった。
 友人の姿を見付けて少しほっとした風切は、そちらに駆け出す。
 秋葉は押されながらも群れから出ると、その肩を掴んだ。
「来ない方がいいぞ」
「何があったんだ?」
「去年俺たち、竹田に化学習ってただろ」
「ああ」
 とても、嫌な予感がした。
 秋葉は一呼吸置いて告げる。
「竹田が、死んでる」
 風切は学生の群れに向かって走った。
「あ、おい!」
 秋葉の声ももう耳に入らない。現場を囲んでいる学生たちを押しのけ、前へ出る。
 丁度、刑事たちが遺体を運び出すところだった。そちらにはあえて視線をやらず、地面を見る。
 立ち入り禁止のテープが張られているためこれ以上前には行けないが、竹田の最期の姿を象った白いテープと地面に染み込んだ血が、よく見えた。
 上を見ると、屋上にも刑事たちがいる。
 つまり竹田は、明里と同じように屋上から転落したのだ。
 全く同じだ。南校舎の屋上から、校庭に落ちた……。
「ねえ、これって自殺?」
「殺しじゃねえの?」
 周りの学生たちの声が耳に入ってきた。確かなことはまだ分かっていないらしい。
「何で……」
 風切はぽつりと呟いた。
「何で、あんたまで……」
「おい!」
 大きな野太い声が、学生たちの注目を地面から逸らす。風切も我に返った。
「お前ら、教室に戻れ! 朝練中のやつらもだ!」
 体育教師、田代和弘だった。
 大柄で浅黒い肌をした三十代後半の教師の威圧感は学生たちには抜群で、彼らは渋々ながらも解散していく。
 だが、風切はそこを動けなかった。
「おい! お前もだ!」
 大股で風切の隣にやってきた田代。風切はそちらを向くと、思わず問いかけていた。
「殺されたんっすか? それとも、自殺……」
 田代は眉間に深く皺を刻み込む。
「教室に戻れと言っとるんだ! 深入りするな!」
「俺たちにだって、知る権利はあるでしょう!」
 風切は田代に喰ってかかる。
「教師の言うことが聞けんのか!」
 田代が風切の胸倉を掴もうとしたところに、秋葉が割って入った。
「落ち着いてください、先生! 風切も、今はとりあえず教室行くぞ、な?」
 田代に何か言う間を与えず、秋葉は風切の腕を掴んで駆け出した。
 校舎に入り、階段を上りながら秋葉は早口で話し出す。
「朝練やってたやつに聞いたんだけど、六時半頃騒ぎが起きたらしい。現場を目撃しちまったそいつの話だと、悲鳴が上がったんだと」
 明里は、悲鳴など出さずに落ちていった。
「ってことは、事故か他殺?」
「慌てて屋上を見たら、誰かいたってよ」
 風切は、はっと顔を上げる。
「そいつが、突き落としたってことか?」
「可能性はあるよな」

 教室に二人が戻った時には、もう千夜たちも登校していた。
「竹田が殺されたって?」
 ざわついている中、沢村が声を落として尋ねる。
「何で殺されたって知ってるんだ?」
「みんな言ってるよ。柔道部の男子が屋上に誰かいるのを見たから、そいつが犯人だろうって」
「ぺらぺら喋る内容じゃないだろうに」
 千夜は肩を竦め、冷奈は溜め息をつく。
「まあしょうがないんじゃない? 話したくなっちゃうよねー」
 千夜の言葉を遮るように、教室の扉がガラガラと開いた。
「おーい、みんな静かにしろー」
 入ってきたのは三年一組の担任、東尾晴紀だ。
 二十代半ばの彼は田代と変わらないほど大柄だが、担当は英語である。黒髪に真面目そうな顔立ちをしており、年齢が近いためか学生たちには慕われていた。
 学生たちは一応静かになったものの、妙な空気は残ったままだ。
 東尾は「あー……」と困ったような声を出し、頭を掻く。
「落ち着けってのは無理だろうな。とりあえずみんな知ってるだろうが、竹田先生が亡くなった」
 ざわつく学生たちに、東尾は「一回静かにしろ、な?」と言い、咳払いをした。
「隠そうとしても無理だろうから言うが、殺されたらしい。今、現場を見た学生が刑事さんと話してる」
 誰かが小声で、「マジかよ」と呟いた。
「ああ、マジだ。これからこの学校に警察やマスコミが来るかもしれないが、あまり噂や憶測で勝手なことは言わないように」
 学生たちは顔を見合わせながら頷く。
「どこのクラスでも今は臨時のホームルームをやってるから、授業は二時間目になるだろうな」
 さすがに一時間目が潰れて喜ぶ学生はいなかった。
「俺が言えるのはこれくらいだ。質問があるやつは手を上げろ」
「先生」
 風切は、誰よりも早く右手を上げた。
「竹田……、先生が殺されたのは、明里の自殺と何か関係あるんっすか?」
 彼は真面目に聞いたつもりだったが、東尾は溜め息をつく。
「そういうのが憶測っていうんだぞ」
「でも、無関係とは……」
「関係があるとは言い切れないだろ」
「う……」
 風切は言葉に詰まる。
 しかし、これがただの偶然とは思えない。
「他はどうだ?」
 風切以外に手を上げる学生はいなかった。
 東尾は息をつくと、真剣な顔をした。
「ここのところ事件が続いてみんな動揺してると思う。でも、そんな時だからこそ自分が何をすべきか冷静に考えるようにな。俺たちは職員会議があるから職員室に戻らなきゃならない。騒いだりせず、自習しておくように」
 そう言うと、彼は教室を出て行った。
 その後は当然、真面目に自習とはならない。学生たちは近くの席の者たちと、「やっぱり殺されたんだ」とか、「でも何で……」などと話し出す。
「明里の自殺と関係ないってことは、ないよな」
 風切はぽつりと呟く。
「そりゃそうだろ。関係ない方がおかしい」
 秋葉はそう言うと、溜め息をついた。
「首突っ込んでいいのはここまでかもな」
「どういうことだよ、秋葉」
 風切は振り向き、問いかける。
「いや、事が殺人に及んだ以上、後は警察の仕事かと思って」
「秋葉の言う通りだ。私たち学園生がやれることなんてたかが知れてる。それ以上に、殺人事件に首を突っ込むということは、危険が伴うだろう」
 冷奈の言葉に沢村黙っても頷く。
 千夜は「まあねー」と苦笑するが、その本心は読めない。
「そう、か……」
 ――そう、だよな……。
 風切は自分が学生で、『犯人探し』に必死になっている場合ではないということを思い知った。
 それが分からないほどは彼も幼くない。
 ――俺にできることなんて、最初から無かったんじゃないか……。
 明里の自殺と竹田殺しが関連しているならば、警察が調べていくうちに明里のことも分かるはずだ。 ――俺たちは、きっと真相をニュースで知ることになるんだ。
 風切は「ははっ」と笑ってみせた。
「ああ、俺、自分のことで精一杯なの忘れてたぜ。今日はさすがにバイト休めねえし」
 その言葉に、冷奈はどこかほっとしたようだった。

 放課後、今回は明里の時のように警察に話を聞かれることもなく、風切はバイト先へ向かった。
 風切のバイト先は学校からバスで三十分ほどのところにあるドーナツ屋である。ちなみに秋葉と同じ所なのだが、今日彼の方はシフトが入っていない。
「どもっす、鷺沼さん」
 バックヤードに入ると、エプロンを付けた先輩である金髪の男が「おう」と手を上げた。
 鷺沼圭一は二十代半ば、フリーターで他にも色々なバイトをしているらしい。
「大変らしいな、晴常」
「はい、そうなんっすよ。自殺に殺人に……」
「それにドラッグだもんなー」
「ドラッグ?」
 思わぬ単語に、風切はぽかんと口を開けた。
「何すか、ドラッグって?」
「ん? あれだよ、覚醒剤とかさ」
「いや、それは分かりますけど、晴常で?」
 今度は鷺沼が狐に摘まれたような顔をする。
「まさかお前の方が知らないとはな。晴常でドラッグが出回ってて、使ってたやつが退学になったって噂になってるぜ」
「先月退学になった学生がいたとは聞きましたけど、確か自主退学だったはず……」
「あー、学校側はそういうの隠してえんだな。事なかれ主義ってやつか」
 風切は鼓動が高鳴るのを感じた。
「ちなみに、ドラッグの噂っていつ頃聞きました?」
「んー、お前が三年になる頃だったかな」
 ――まさか……。
 風切は頭を押さえた。鷺沼の「どうした?」という声に返事をする余裕もない。
 ――まだだ。まだ、俺にはできることがある。



第三章
 翌日の放課後、まだ校内は不穏な空気に包まれていた。
 それでも皆、それぞれの日常を生きようとしている。
「バイト行かねえと」
 沢村も、
「さ、ドーナツ揚げに行くか」
 秋葉も、
「塾行かなきゃー」
 千夜も、
「私も行く」
 冷奈も……。
 一人になった風切は、文化部部室棟を目指した。
 漫研のドアを叩くと、「はーい」とるるの声が返ってくる。
「よう、この間は助かったよ」
「どうしたんですか? 風切先輩」
 瞳の問いかけに、風切は拳を握り締め、息を整える。
「あのさ、先月退学したやつの情報、教えてくれねえか?」
 三人は顔を見合わせる。
 そして、おずおずと風切に向き直ったのはリナだった。
「その……、何のために、ですか……?」
「明里のことを、知るためだ」
 平井のように真っ直ぐな目で見つめると、リナは下を向いてしまった。
「でも、もうあたしたちが首突っ込んでいい問題じゃないですよ」
 瞳は風切から目を逸らす。
「分かってる。でも、知りたいんだ。どんな危険が伴っても」
 すると、るるが「もーいいじゃん」と肩を竦めた。
「教えてあげましょうよ。その代わり、海戸先輩にあたしが協力したってちゃんと伝えてくださいね、風切先輩」
「るるったら、もー。ま、ここまできたら仕方ないか」
 その言葉に、風切はほっと息をついた。

 風切が足を踏み入れたのは、所謂クラブという所だ。
 薄暗いフロアにガンガンと頭が痛くなるほどの音量で奏でられるロックミュージック。そして煙草の匂い。
 ――ここにいるやつら、半分ぐらい十代じゃねえかよ。
 しかし、今はそのことを気にしている場合ではない。風切は漫研で見せてもらった写真の顔を探した。
「いた!」
 丸テーブルの周りに集まって何か飲んでいる――恐らくアルコールの類だろう――数人の少年たち。
「なあ、お前ら晴常生だろ?」
 風切は踊っている男女をかき分け、彼らの中で一番体の大きな者の肩を掴んだ。
「あ?」
 髪を赤に染めたその少年は、気怠げな目で風切を見る。
「ドラッグのことで、話がある」
 その言葉を聞いた瞬間、彼の目付きが変わった。
「ここじゃ話せねえ、場所移そうぜ」
 そう言って、他の少年たちに何やら目で合図すると、彼らは歩き出した。
 風切はその後ろをついて行く。
 ドアを開け、階段を下り、たどり着いたのは地下駐車場だった。
「ここなら今は人もいねえ。お前、どこまであの話を知ってる?」
 赤毛はポケットに手を入れ、風切を見る。
「この間退学になったお前らのダチ、葛原がドラッグやってたってことぐれえかな」
 風切はそう言うと、相手を睨み付けた。
「ドラッグは、誰から買った?」
「お前もドラッグが欲しい……って感じじゃねえなあ。じゃあ、教えられねえよ」
 緑髪の少年が、後ろから風切に殴りかかる。
「っ!」
 風切は振り返りもせずその拳を片手で受け止めた。
「なっ、なに!」
 そしてそのまま、驚いた様子の緑頭を投げ飛ばす。
「俺は普通に話をするつもりで来たんだ。でも、そっちがその気なら相手になるぜ」
 冷たい視線で、残りの四人を見つめる風切。
「はっ、一人で粋がってんじゃねえよ! ボコボコにしてやっかんな!」
 赤い少年がそう言うと、後の三人が風切りに殴りかかる。
 一人目の拳を腰を沈めて避けると、風切はそのまま相手に足払いをかけた。
 そして次の攻撃を右に避け、相手の顔面に拳を叩き付ける。
 三人目が怯んだところでその青い頭を掴み、腹に膝を入れた。
 リーダー格に視線を移す。
「なあ、そろそろ教えてくんねーか?」
 険しい顔で、彼に歩み寄った。
 ――残るは、こいつ一人。
 その油断がいけなかった。最初に投げ飛ばされた少年が後ろから忍び寄るのに、風切は気付かない。
 リーダー格がニヤリと笑った瞬間、彼はナイフを握った手を振り上げた。
「ぐあっ!」
 しかし、悲鳴を上げたのは彼の方だった。
 慌てて振り向いた風切の目に映ったのは……。
「冷奈!」
 その少年は冷奈の黒いタイツに包まれた足により、力強い回し蹴りを側頭部に受け数メートル先で気絶していた。
「お前は早くあいつをやれ。話を聞くんだから気絶はさせるなよ」
 冷奈の冷静な言葉に「おう!」と返した風切は、一気に赤毛の少年との間合いを詰めた。
 反応できないでいる彼に足払いをかけ、その腹を踏み付ける。
「ぐっ!」
「さあ、話せよ」
「わ、分かった……」
 風切の後ろでは、冷奈が他の少年たちが完全にのびているかを確かめている。
「じゃあ、まず一つ」
 風切は少年を見下ろし、問いかけた。
「お前らは、誰からドラッグを買った?」
「あ、明里だよ。この間自殺した……」
 ――やっぱり。
 風切の頭の中で、パズルのピースが嵌っていく。
「二つ目、ドラッグは普通に流通してるもんじゃなかった。そうだよな?」
「ああ、明里が言ってた。特製だから、中毒性は低いし他のよりよくトベるって」
「明里は、それを誰が作ったか言ってたか?」
「そりゃあ、俺たちだって知りもしねえやつの特製ドラッグなんて使わねえよ」
「誰が作ったんだ?」
「それは……」
 彼の口から出た名前を聞いた時、全てのピースがあて嵌った。

「これから、どうする気だ?」
 クラブを出ると、冷奈は風切に問いかけた。
「学校に戻るわ。まだあいつ、いるかもしんねーし」
「そうか」
 冷奈は頷いた後、下を向く。
「お前がやる必要は、ないだろう」
「うーん、なんか放っとけないっつーか」
「お前はいつもそうだ」
「性分ってやつかな」
 風切は頭を掻き、笑った。
「でもさ、お前塾に行ったんじゃなかったのかよ?」
「私もだ」
「え?」
 冷奈は早足になり、風切の前を歩く。
「お前のことを放っておけなかった。大体、私の頭なら一日ぐらい休んでもどうとでもなる!」
 風切はその背中を見ながら苦笑した。
「ま、遅れても行ってこいよ。千夜を越えたいんだろ?」
「一人で、行くのか?」
 冷奈は振り返った。純粋に風切を心配している、そんな表情だ。
「ああ、俺は大丈夫だから」
「お前の『大丈夫』は、信用できないんだ!」
 冷奈はそれだけ言うと、駆け出した。
 それを見送り、風切は肩を竦めた。
「性分、なんだよ。あの時からの……」

 南校舎の屋上へと通じる階段、そこに彼はいた。
 立ち入り禁止のテープが張られたドアの前に、座っている。
「よう、平井」
 風切はそんな彼を踊り場から見上げた。
「大体のこと、分かっちまった。明里が死んだ理由とか、さ」
 平井は無言で風切を見る。
「見上げて話すのもなんだから、そっち行くな」
 風切は一歩、また一歩と階段を上っていった。
 その足取りは、非常に重い。
 平井の所までたどり着いた風切は、その隣に腰を下ろした。
「なあ、違ってたら言ってくれよ。今から俺、すっげー失礼なこと言うから。殴ってもいいぜ?」
 そう前置きして、息をつく。
「竹田を殺したのは、お前か?」
 平井は下を向いたまま口を開いた。
「そうだって言ったら、どうします?」
「そうだなあ、自首しろって言うかな」
「先輩が俺を警察に突き出したら、ヒーローになれますよ」
 風切は苦笑した。
「そういう柄じゃねえよ、俺は」
「そうですか」
 平井は顔を上げると、閉じられたドアを振り返って見つめた。
「飛び降りにきたんですけど、竹田を殺したせいで屋上に入れないんです。まだ捜査が完全には終わってないらしくて」
「明里が死んだ時点で、鍵はかけられてただろ?」
「はい。でも、竹田にドラッグのことで話があるから屋上に来いって言ったら、簡単に開けてくれましたよ」
 自分が殺されるとも、知らずに……。
「竹田は、自作のドラッグを明里に売らせてたんだな?」
 平井は頷いた。
「あいつ、バイトしなくて済むようになったからバスケ部に入ってみたいって、言ってたんです。俺、すっげー嬉しくて、何でバイト辞めたのかも聞かなかった……」
「聞かれても明里は言わなかっただろうな。ドラッグを売って稼いだ金で生活してる、なんて」
「あいつ、最初はきっと軽く考えてたんだと思うんです。ただ、普通の学園生活を送れるのが、すっげー嬉しかったんだ」
 その目に、涙が溜まっていく。
「一年の頃のあいつを、俺は全然知りません。学校にいる時間が少なかったから……。俺らみたいに部活したり、放課後ダチと寄り道したり、カラオケ行ったり……、みんなが普通にしてることを、あいつはできなかった」
「うん」
 風切は、平井の言葉をただ受け止める。
「あいつにとって、この二ヶ月はきっと輝いてたんだ」
「でも、見ちまったんだな。退学した葛原を」
「はい、ちょっと前に俺ら、街で葛原とすれ違ったんです。声かけても反応しなかったし、虚ろな目えしてた。ドラッグの、せいで……」
「副作用が他より軽いなんて、竹田の嘘だった」
「葛原、廃人みたいだった。それを見てから、明里はおかしくなったんです。自分の青春が、何を踏み台にしてるか、気付いて」
 平井は拳を握り締め、自らの膝を殴った。
「一番悪いのは、竹田じゃねえか! 明里は唆されたんだ! なんで、明里だけが」
「明里はお前に、ドラッグを売ってることを話したのか?」
「最後の日に、話してくれました。でも俺、何て言ったらいいか分からなくて、部活に行くからって、あいつを一人にしちまった。自殺するなんて、思わなかった。何であの時、もっとちゃんと話さなかったのかって、今でも思います……。だから、俺があいつのためにできることは……、竹田を殺すことだけだった」
 そこで彼は、首を横に振る。
「いえ、最初は、殺すつもりはなかったんです。ただ、侘びの言葉が欲しかった。ちゃんと警察に行って、罪を償って欲しかった」
 何となく、想像はついた。
 竹田はきっと、笑ったのだろう。自分がドラッグを作っていたことが明らかになれば、明里がそれを売っていたことも皆に知れる。それは、死者に鞭打つ行為じゃないか、と。
「竹田を突き落とした後、怖くなって逃げました。後になって、大変なことをしたんだって気付いて、死のうと、思いました。でも、屋上には入れなくて……」
 平井は初めて笑った。自嘲げな笑みだった。
「変ですよね、他の死に方が思い付かないんです。あいつと……、明里と同じ、死に方しか……」
「空がとても青いから」
 風切は、ぽつりと呟いた。
「はい?」
「明里の最後の言葉、俺なりに考えてたんだ」
 風切の夢に出てきた明里は、青過ぎる空で溺れそうだと言っていた。
「比べちまったんだと思う。自分が過ごす青春と、空を」
「自分の過ごす、青春?」
「明里の過ごした青春は明るいもんじゃなかった。でもあの時の空は明るくて、透き通るほど青かった……」
 きっと彼の望んでいた青春は、あの空のように明るく、青いものだったのだろう。
 風切は平井の手を掴んで立たせた。
「ちょっ! 先輩?」
 そして、屋上のドアを思い切り蹴り開けた。
「鍵かかってても、意外と簡単に開くんだな」
 風切はそう言い、平井の手を引いて屋上へ出る。
 空はもう、暗くなり始めていた。沈みかける夕日は、郷愁を誘った。
「ここはもう、明里が飛び下りた屋上とは違う。あの日と全く同じ青空は、もう見られねえよ。だから……」
 平井の腕を、強く握った。
「だから、死のうなんて思うな」
 平井は、空を見上げる。
「俺、生きてていいんですかね?」
 その頬を、涙が伝った。
「俺はお前を受け入れるよ。生きろ」
「はい……。俺、警察に行ってきます」
 平井は決心したように頷く。その顔には、どこか晴れ晴れとした笑みが浮かんでいた。



エピローグ
 しばらくの間、晴常学園は大変な騒ぎに包まれた。
 学生の自殺、教師殺し、ドラッグの売買は充分に衆目を集め、校門前には連日マスコミが押し寄せた。
 だが、一ヶ月ほどが経った今、世間は現代の切り裂きジャックと呼ばれる殺人鬼の話題に乗り換え、晴常学園には平和が戻り始めていた。
 気付けば開放されていた屋上で、風切は空を見上げる。
「空がとても、青いから」
 ――死にたくもなるよな、こんな青空の下で生きてたら。
 風切には、ずっと抱えているものがある。
 風切の父親は、碌でもない男だった。
 酒を飲んでは妻子に暴力を振るい、働くこともしなかった。
 そんな夫に見切りを付けた母は、出て行った。
 風切が小学校から帰った時、母が残した書置きを見て背中を震わせていた父を思い出す。
 父は、泣いていた。そして、風切の肩を強く掴んだ。
「お前だけは、俺を捨てないでくれ。俺を、拒絶しないでくれ……」
 ――何言ってんだこいつ。
 今までの父の行動を見てきた風切は、そう思った。
 この男は捨てられて当たり前だと、思った。
 それでも家族という絆は歪み、彼は父を捨てられずに育っていく。
 小学生にとって親という存在はあまりにも大きい。その言葉を受け止め、何も変わらない父親と共に無為な時間を過ごした。
 学校が終わればすぐに帰り、ただ酒を飲んでいる父を見ていた。
 そんな親子関係は、風切が中学生になると変わり始める。
 小学生の時よりも密な友人関係。決して良い相手ではなかったが、風切には仲間と呼べる者たちができた。
 それは所謂不良の集まりだったが、父の束縛を馬鹿にする友人の力は大きかった。
 ――そうだよ、何で俺が、あんな親父と一緒にいなきゃなんねえんだ。
 親を否定する反抗期の少年たちと同調した風切は、日に日に家に帰る時間を遅くしていった。
 煙草を吸い、酒を飲むという不良行為を心から楽しむ風切。
 ある日、彼は朝帰りをした。
 丸一日家に帰らず、友人たちと騒いだ。
 帰ってドアを開けると、天井から父がぶら下がっていた。
 首を吊って、死んでいた。
 帰らない息子を想い、自分はまた拒絶され捨てられたのだと思い、自ら命を絶ったのだ。
 歪んだ親子の絆は一方が消えても無くなるものではない。残された者に絡まり、締め付け、苦しめ続ける。
 冷奈たち、晴空学園で知り合った友人たちのおかげで、また変われた。
 ――それでもまだ俺は、囚われてる。怖いんだ、誰かを拒絶するのが……。
 風切は空に手をかざす。
 平井は許されないことをした。それでも風切は、それを受け入れる。
 明里が本当に自分に向けて手を伸ばしたのか、思い出せない。それでも、その手を掴もうとする。
「結局俺がやったことって、全部自己満足なんだよな」
 自嘲し、溜め息をつく。
「なーに黄昏ちゃってるの、風切君」
 千夜の声に振り返る。
 千夜は風切の隣に来て、上を向いた。
「空、青いね」
「ああ、青い」
「青春ってのは、ひどく脆くて、儚いものなんだろうね」
「中二病?」
「違うよ。そういや、鷹川さん成績上がってたね」
「この間の実力テスト、二位だったっけ」
「うん、凄いと思うよ」
「それ、一位のお前が言ったら怒られるぜ」
「秋葉君はさ、ドーナツ屋のバイトで売上記録更新したって言ってた」
「ああ、すげえよな」
「そのお金で何買うんだろうね、新しいパソコンとかかな」
「あー、あいつらしいな。そういや、沢村とどこまで進んでるんだ?」
「さあ、どこまでだと思う?」
「なんか想像つかねえわ」
 二人は、ぼんやりと空を見上げる。
「ほんと、青いな」
「うん、青いね」
「行くか」
「うん」
 二人は屋上を後にする。友人たちの所へ戻るために。
 あまり明るくない青春を送る彼らは、この青過ぎる空で溺れないよう、誰かの手を掴むのだ。
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テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

  1. 2017/12/29(金) 20:32:37|
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