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小説『空がとても青いから』

 風切の目の前で飛び下りた一人の少年。彼のことを調べていくうちに、風切は殺人事件に巻き込まれる。
 設定を変更したバージョンです。


『空がとても青いから』

プロローグ
 まだ梅雨には早い六月の始め、その日は空が青かった。
 だからだろう。風切誠助が放課後の屋上へ来たのは。
 屋上へのドアを開けると、風が彼の後ろでまとめた金髪をなびかせる。
 風切が通う晴常高校は海に近く、屋上は風景を楽しむのに絶好のポジションだ。
 だが、先客がいた。
 その少年は、胸ほどまでの高さのある柵の向こう側にいたのだ。
「おい、何やってんだ!」
「空がとても、青いから」
 彼の唇が動くのを見ながら、風切は駆け出していた。
「待ってろ、飛び下りんなよ!」
 そう叫び、彼を助けようとする。
 しかし、遅かった。
 少年はこちらを向いたまま、ゆっくりと後ろに倒れていく。
 風切の目の前で、彼は飛び下りた。
 勢い余って柵にぶつかった風切の視界には、遥か遠い地面が映っていた。
 地面に吸い込まれていく少年の血、気付いた生徒たちの悲鳴、駆け付けてくる教師。
 全てが、遠くに感じた。

「おはよ、風切君」
 翌朝、三年一組の教室へと入った風切を迎えたのは海戸千夜だった。
 黒いショートカットの髪に凛々しい顔立ち、更に晴常高校一の大きさを誇るバスト、そんな彼女は当然男子に人気がある。
「災難だったね。元気付けてあげようか?」
「お前が言うとなんかエロい」
「エロい意味で言ってるんだよ」
 その千夜が彼氏として選んだのは風切だった。
「想像しちまうだろ」
 風切は千夜の頭を小突くと、窓際にある自分の席に座った。千夜はその隣の席で足をぶらぶらと揺らす。
「よう、風切」
 後ろの席から声をかけてきたのは秋葉貴弘。ひょろりと背が高く、黒髪に分厚い眼鏡という地味な印象の彼は、風切にポケット菓子を手渡した。
「これ食って元気出せよ」
「お、サンキュ」
 二人からの気遣いに、風切はようやく笑顔を見せた。
 そんな彼らを、他の生徒たちはちらちらと見ている。
 生徒の自殺という高校生にとって大事件の現場に居合わせた風切の話を聞きたいのだ。
 しかし、彼らの会話に入っていく者はいない。
 三人は決してクラスから浮いているわけではないが、共にいる時はどこか近寄りがたい空気をまとっていた。
 それがキズナゆえのものなのか何か他の理由があるのか、誰も知らない。



第一章
 六時間目終了のチャイムが鳴る。
「今日はここまでだ。ここはテストに出るから覚えておくように」
 古典教師がそう言って教室を後にすると、生徒たちは一斉に騒ぎ出す。
 昼のホームルームで自殺した生徒についての話があったが、学年が違うせいもあり暗い雰囲気になるということはなかった。
 ただ、風切はその言葉を心に刻み付けていた。
 ――明里高斗ってやつだったんだな。
 その名を繰り返し、重い頭を机に乗せてぼんやりと外を見る。
「おーい」
 だが、後ろから秋葉に呼ばれ、「ん?」と体を起こした。
「お前、授業聞いてなかっただろ」
「いや、一応聞いてたけど」
「数学の教科書で古典の勉強?」
 振り返った千夜が、机の上に出しっ放しの教科書を人差し指で示し、ニヤニヤと笑う。
「やっべ、うっかりしてた。つか授業終わる前に言ってくれよ」
「どうせ古典の教科書使っても頭に入らなかっただろ?」
「いつ君が先生に怒られるか、わくわくしててさ」
「どっちもひでえ」
「これも愛?」
「歪んでるじゃねえか」
 千夜の冗談めかした口調に、風切は溜め息をついた。
 そんな中、茶色の髪をした目付きの悪い男子生徒が教室へと入ってくる。
「すいません、風切先輩はいますか?」
 彼は誰が相手というわけでもなくそう口にすると、教室内を見回した。
 風切が「俺か?」と立ち上がると、彼はすたすたと歩み寄り、真っ直ぐな瞳でその顔を見つめた。
「俺は平井康一郎といいます。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
 風切は髪の色のせいなどで、二年まではよく上級生から呼び出されていた。しかし今、この後輩は一体何の用があるのだろうかと首を捻る。
「先輩が明里の自殺現場にいたって本当ですか?」
 『明里』、『自殺』というワードははっきりと響き、帰ろうとしていた生徒もこちらを向いた。
「おい、それは今ここで話さなきゃ駄目なことか?」
 秋葉のやや強い口調に、平井は一瞬だけ臆した様子を見せたがすぐに自分を取り戻す。
「確認するにはここへ来るしかないと思って。先輩がここで話したくないなら場所を移します」
「ま、場所は移したほうがいいだろうね。みんな好奇心旺盛だし」
 千夜はニヤリと笑い、
「屋上行けば? ゆっくり話せるよ」
 と、続けた。
 平井は千夜を睨み付け、一歩前に出る。
「待て、落ち着けって!」
 風切は千夜を庇うように腕を回した。
「今の、喧嘩売ってますよね」
 平井の視線にも千夜はどこ吹く風といった様子で涼しい顔をしている。
「先に喧嘩売ったのはどっちだよ」
 秋葉は落ち着いた声で平井を制した。
「目の前で人が死ぬのってどういうことだか分かってるか? ショックも受けるし、周りから注目もされる。ちょっと無神経じゃないか、お前の訊き方は」
 ピリピリとした空気を感じ、風切は「あー!」と声を上げた。
「いいっていいって! 俺そういうの気にしねえし。ま、さすがにここで話すのはあれだけどさ」
 風切の言葉に、平井ははっとした様子で「すみません」と頭を下げた。
「俺は、明里の親友なんです。好奇心で来たわけじゃありません」
「最初にそう言えよ」
 風切は笑って平井の肩を叩いた。
「場所、どこにする?」
「今なら食堂とかいいんじゃない?」
 千夜の提案に、平井は頷いた。
「じゃあ、食堂でお願いします」
「おう、行くか」
「大丈夫なのか?」
 秋葉はちらりと平井を見る。
「大丈夫大丈夫、俺強いし」
 確かに、今まで彼を呼び出した上級生たちは返り討ちにされていた。
「ほら、行くぜ、平井」
 風切は彼の腕を掴んで教室を出て行った。
 残された千夜と秋葉は顔を見合わせた。
「厄介事に巻き込まれるに千円」
「俺も」

 放課後の食堂は確かに生徒が少なかった。数人がパンを買いにくる程度だ。
 奥のテーブルに陣取った二人は、向かい合って座る。
「で、聞きたいことって何だ?」
 平井は先程のように真っ直ぐな視線を風切に向けた。
「明里は、本当に自殺したんですか?」
 風切は思い出したくない光景を脳裏に浮かべる。
「あれは……、自殺だろ」
 明里は誰かに突き落とされたわけではない。事故でもなかった。自分の意思で、飛び下りたのだ。
「そう、ですよね……。あいつは、死ぬ前に何か言ってませんでしたか?」
「んーと、ちょっと待てよ」
 風切は頬を掻き、記憶をたぐり寄せる。
 ――空がとても、青いから。
 その言葉を、思い出した。
「空がとても青いからって言ってたぜ」
「空がとても、青いから?」
「ああ」
「他には、何もありませんでしたか?」
 平井は身を乗り出すが、風切に言えるのはこれぐらいだ。
「それだけだったはずだ」
「そうですか……」
 平井は下を向き、「空がとても青いから」と呟いた。
 風切は居心地の悪さに視線を彷徨わせた。
「俺が話せることって、もうないぜ」
「あ、はい。ありがとうございました」
 平井は頭を下げる。そして立ち上がると、
「失礼なことも言いました。すみません」
 と、言い切り食堂を後にした。
 風切はそれを見送ると溜め息をついた。
「やっぱ人が死ぬとこ思い出すのって、つれえ……」
 しかし、と平井のことを思い返す。
「親友に死なれるのも、つれえんだろうな」
 ――空がとても、青いから。
「何でそんな理由で死ぬんだ?」
 風切の中に疑問が生まれていく。
「俺に何か、できたら……」
 ぼんやりとそう呟いたものの、自ら死を選んだ後輩のために何をしてやれるのか。
 ――俺、明里ってやつのこと全然知らねえし。
 それなのに、彼のことが忘れられない。あの光景がフラッシュバックする。
 思えばほんの一瞬だけ、明里はこちらに手を伸ばそうとはしなかっただろうか。
 それが記憶違いなのか事実かなのかは、定かではない。
「俺は、どうにかしてあの手を掴むべきだったんだ」
 記憶違いでもいい。それでも、風切は自分のすべきことに思いを馳せた。
 伸ばされた手を、拒むわけにはいかない。

 風切が教室に戻ると、千夜と秋葉がまだ残っていた。
「何か言われたか?」
 秋葉に問われた風切は「うーん」と腕を組む。
「本当に自殺だったのかとか、何か言ってなかったかとか、それくらいだな」
「本当に自殺だったのかってそれ、遠回しに疑われてない?」
「まさか。そこまで敵意は感じなかったぜ」
「それならいいんだけど」
「ああ……。俺、ちょっと明里のこと調べてみようと思う」
 何気ない口調で言い、それとなく二人の顔を伺う。
「いいんじゃない? 手伝うよー」
「ま、このままほっとけるタチじゃないだろ」
 二人の反応に、風切はほっと息をつく。
「それならさ、いい所がある」
 千夜はそう言って立ち上がり、歩き出す。
 どこへ行くのかと不思議がる二人の方を振り返ると、にっと笑う千夜。
「この学校の情報屋のとこ」

 千夜は二人を連れ、先程までいた南棟の海側――南にある二階建ての文化部棟へとやってきた。そしてその廊下をすたすたと歩き、一番端にある部屋の前で止まる。
 そのドアには、『漫画研究部』というプレートが掛かっている。
「ここって、漫研だよな?」
「そう、漫研」
 風切の問いに頷くと、千夜はそのドアを開けた。
「やあ、元気?」
 明るく挨拶をすると、アニメのポスターやピンナップが貼られた部室で、三人の女子生徒がこちらを向く。
「あ、海戸せんぱーい! どうしたんですか?」
 茶色の髪をショートツインにした小柄な女子が、嬉しそうに立ち上がる。
「安本さんたちに聞きたいことがあってね。この二人は私の友達、風切君と秋葉君」
 千夜が二人を示すと、安本と呼ばれた少女は、
「安本るるです。よろしく、先輩方」
 と、スカートの裾を摘んでお辞儀をする。
「あ、ああ、よろしく」
 風切は少し戸惑いつつも右手を上げた。
「で、後の二人が」
「山里瞳です」
「佐川リナです」
 瞳という少女はショートカットの黒髪で背が高く、クールな雰囲気。対照的にリナの方はウェーブした長い金髪が儚い印象を抱かせ、気弱に見える。
「三人とも二年生なんだけど、この学校のことに一番詳しいと思うよ」
「買いかぶり過ぎです」
 千夜の言葉に瞳はあっさりとした口調で返し、リナは顔を真っ赤にして首をふるふると振った。
「で、先輩は何を知りたいんですかあ?」
 るるは千夜の手を握って問いかけた。
「昨日自殺した明里君のこと」
 部室の空気が一瞬凍った。だが千夜はそんなことなど気にせず、言葉を続ける。
「この風切君が目撃者でさ、色々気にしちゃってるの。教えてくれないかな?」
 そしてまるで男が女を口説くように、るるへと顔を近付けた。
 するとるるは「はい!」と敬礼し、瞳とリナの方を向いた。
「二年男子のファイル、どこだっけ?」
「もー、ほんとは外部に漏らしちゃダメなんだからね。あくまであたしたちのネタ用なんだから」
 瞳はやれやれと溜め息をつき、後ろの棚にずらりと並んだファイルの中から一冊を選ぶ。
「なあ、ネタ用ってどういうことだ?」
「俺が知るわけないだろ」
「だよな」
 風切と秋葉はそれを見ながら囁き合った。
「具体的に何を知りたいんですか?」
 瞳に尋ねられ、風切は「えーと」と頬を掻く。
「何で死を選んだのか、とか」
「それはあたしたちも知らないですね。噂だと遺書も無かったらしいし」
「え、無かったのか?」
「はい、だから風切先輩の証言が無かったら、事件になってたかもしれないんですよ」
「マジかよ」
 風切は刑事から何度も状況を聞かれた理由を知った。
「じゃあ、とりあえず明里はどんな生徒だったんだ?」
「結構苦労してたみたいですね。一年の時、ご両親が借金抱えて自殺しちゃって、親戚もいないからバイトで学費と生活費稼いでたって」
「へえ……」
 風切は明里の姿を思い出していた。
 ――そんなに、大変な人生だったのか。
「ただ、二年になってからバイト全部やめてるんですよね」
「え、何でだ?」
「お金に困らなくなったんじゃないですか?」
「あ、あの、宝くじが当たったのかもしれません……」
 リナが小さな声で言い、るるは「そうかもねー」と返す。
「変な話だよね。お金に困って自殺するのなら分かるけど、困らなくなってから死ぬなんて」
 千夜は唇を人差し指でなぞり、首を傾げる。
「人間関係とかは?」
「バイト漬けだったから校内の友達は少なかったみたいです。平井ぐらいですね。ちなみに二人とも二年五組、担任は竹田。――他に何か知りたいことあります?」
 考え込む風切の隣で、秋葉が「そうだ」と手を叩いた。
「平井についても教えてもらえるか?」
「ま、いいですけど」
 瞳はぺらぺらとファイルをめくる。
「家庭環境はごく普通で、一年の時からバスケ部に在籍、友達も多いけど親友って言えるのは明里くらいだったとか。二人は二年の時、席が隣同士になったことで知り合ってますね」
「へ、へえ……」
 ――何でそこまで知ってんだ?
 風切は頬を掻いた。
「あたしたちが話せるのはこれくらいかな。役に立ちました?」
「おう、めちゃくちゃ参考になった。サンキュー」
 風切は礼を言うと、少し気になっていたことを尋ねる。
「あのさ、俺らの情報もあったりすんの?」
「客観的な自分の情報、知りたいですか?」
「遠慮しとく」
「ま、そうですよね」
「じゃ、そろそろお暇しようか」
 千夜が微笑むと、るるは「えー」と声を上げぎゅっと抱き付いた。
「海戸先輩、もう行っちゃうんですかー!」
「ごめんね、私も忙しいんだよ」
 千夜はそんな彼女の頭を撫でると、瞳とリナに「じゃあね」と手を振った。
 漫研の部室を出た風切と秋葉は、前を歩く千夜を見つめる。
「なあ、千夜ってあの子とどういう関係なんだ?」
「彼女は可愛い後輩だよ、妬いてる?」
 千夜は振り返り、笑った。
「安心して、それ以上でも以下でもないから」

「じゃあ、私はそろそろ塾行ってくるね」
「俺はバイト」
 鞄を取りに教室へと戻った三人だが、千夜と秋葉はすぐに立ち上がる。
「おう、手伝ってくれてサンキュ」
「気にしないで」
 千夜は笑顔で答えるが、秋葉は少し渋い顔をする。
「あんまり深入りし過ぎんなよ」
「ああ、気を付ける」
 風切はしっかりと頷いた。
 千夜と秋葉が出ていくと、風切は一人になった教室で椅子に深く座り息をついた。
「空がとても、青いから……」
 窓から外を見るが、空はもう赤い。夕暮れの色だ。
「ほんと、どういう意味なんだろうな」
 風切は腕を組み、普段あまり使わない脳をフル回転させる。
 ――やっぱ二年になった時、何かがあったんだよな。
「まさか宝くじが当たったってこともねえだろうし」
 それならばクラスメートも漫研の三人も知っていそうなものだ。
「何か、人に言えない出所の金?」
「まだ残っているのか」
 突然の厳しい声に、風切はビクリと体を跳ねさせた。
 教室の入口に、白衣を着た教師が立っている。
「あ……」
 そうだ、彼が明里と平井の担任、竹田哲郎だ。
 白髪混じりの髪をオールバックにした、どこか神経質そうな教師に風切は尋ねる。
「竹田先生は、明里について何か知らないっすか?」
 竹田はギリッと奥歯を噛み締めた。
「興味本位で聞くな。お前には関係ないことだろう」
「関係なくないっす。俺、目撃者なんで」
「お前が? そうか……。明里は、何か言っていたか?」
「空がとても、青いから」
「は?」
「明里は、そう言って飛び下りました」
「それだけか?」
「はい」
 竹田は考え込む様子を見せたが、すぐ風切に背を向けた。
「部活もないなら早く帰るんだ。あまり妙なことに首を突っ込むんじゃない」
「妙なことって……」
 ――あんたのクラスの生徒が、自殺したんだぞ!
 そう叫びたいのを、何とかこらえた。



第二章
 空が青い。やっぱり屋上は良い場所だ。
「風切先輩」
「何だ?」
 風切は隣で柵にもたれかかっている明里の顔を見た。
「この空は、青過ぎて溺れそうですよね」
 明里の体が、煙のように柵をすり抜けていく。
「なっ!」
 風切は慌てて彼の手を掴もうとした。
 だが、その手は柵に阻まれる。
「だから俺は、死ぬんです」
 明里はそう言うと、あの時と同じように風切の方を向いたままゆっくりと倒れていく。
「待てよっ!」
 その言葉が届いたかどうかは定かではない。明里の体は、暗く深いどこかへと向かって落ちていった。

「は……っ!」
 風切は荒い息をつき、体を起こした。
 ここは屋上ではない。アパートの一室だ。
「夢か……」
 六畳一間の古いアパート。その201号室は風切の住まいである。
「今、何時だ」
 枕元に置いたスマートフォンで時間を確認すると、液晶画面は六時半を示していた。
 カーテンを開けると、外はもう明るい。
「目え覚めちまったし、もう学校行くか」
 風切はそう呟き、Tシャツとトランクスという格好のまま台所に立つ。
 流しで顔を洗い、そのまま簡単な朝食の用意を始めた。
「玉子あるし、フレンチトーストにでもすっかな」
 冷蔵庫を開ける彼の両親はもういない。
 母は小学生の時に出ていき、父親は中学生の時に他界した。
 借金こそ無かったものの、残された貯金は微々たるもので、風切は週三回のバイトでなんとか生計を立てている。
 ――そういうとこ、明里とちょっと似てるんだよなあ。
 だからだろう、風切としては余計に明里のことが気になるのだ。
 出来上がったフレンチトーストを座卓に置き、コップに牛乳を注ぐ。
 そして食べ終えると、皿とコップを流しに置く。洗うのは帰ってからだ。
 風切は学ランに着替え、解いていた髪をまとめる。
「さ、行くか」

 風切のアパートから晴常高校まではバスで十五分程度だ。
 いつもより早く起きたためかバスは空いており、座ることができた。
 ぼんやりと海の見える景色を眺めていると、サイレンを鳴らしたパトカーが追い越していくのが見える。
 ――何か、あったのか?
 胸騒ぎがした。
 ――まさか、晴常高校じゃないよな……。
「次は、晴常高校前ー」
 そのアナウンスを聞き、風切は慌てて降車ボタンを押した。
 バスは晴常高校から十メートルほど手前のバス停で止まり、風切は定期をかざすとバスを駆け降りた。
「おいおい……」
 二台のパトカーが晴常高校の前に停まっている。
 まだ七時半にもならない今、生徒はそれほどいない。いるのは朝練か日直の仕事がある生徒ぐらいだろう。
 そんな彼らは、一箇所に集まっている。
 ――校庭。
 南校舎に面したそこは、明里と死んだのと同じ場所だ。
 風切はごくりと唾を飲み込んだ。
 嫌な汗が噴き出る。息が、うまくできない。
 それでも彼は、何が起きたのか確かめるため、そこに向かった。
「風切君!」
 生徒たちの中からこちらに手を振っているのは千夜だ。
 彼女の姿を見付けて少しほっとした風切は、そちらに駆け出す。
 千夜は押されながらも野次馬の群れから出ると、風切の胸を突いた。
「来ない方がいいよ」
「何があったんだ?」
「昨日話に出た竹田先生」
「ああ」
 とても、嫌な予感がした。
 千夜は一呼吸置いて告げる。
「死んでる」
 風切は生徒の群れに向かって走った。
「あ、ちょっと!」
 千夜の声ももう耳に入らない。現場を囲んでいる生徒たちを押しのけ、前へ出る。
 丁度、刑事たちが遺体を運び出すところだった。そちらにはあえて視線をやらず、地面を見る。
 立ち入り禁止のテープが張られているためこれ以上前には行けないが、竹田の最期の姿を象った白いテープと地面に染み込んだ血が、よく見えた。
 上を見ると、屋上にも刑事たちがいる。
 つまり竹田は、明里と同じように屋上から転落したのだ。
 全く同じだ。南校舎の屋上から、校庭に落ちた……。
「ねえ、これって自殺?」
「殺しじゃねえの?」
 周りの生徒たちの声が耳に入ってきた。確かなことはまだ分かっていないらしい。
「何で……」
 風切はぽつりと呟いた。
「何で、あんたまで……」
「おい!」
 大きな野太い声が、生徒たちの注目を地面から逸らす。風切も我に返った。
「お前ら、教室に戻れ! 朝練中の生徒もだ!」
 体育教師、田代和弘だった。
 大柄で浅黒い肌をした三十代後半の教師の威圧感は生徒たちには抜群で、彼らは渋々ながらも解散していく。
 だが、風切はそこを動けなかった。
「おい! お前もだ!」
 大股で風切の隣にやってきた田代。風切はそちらを向くと、思わず問いかけていた。
「殺されたんっすか? それとも、自殺……」
 田代は眉間に深く皺を刻み込む。
「教室に戻れと言っとるんだ! 深入りするな!」
「でも!」
「風切君!」
 千夜は風切を後ろから抱き締めるようにして、珍しく困ったような声を出す。
「風切君、落ち着いて。今はとりあえず教室行こ、ね?」
 田代に何か言う間を与えず、千夜は風切の腕を掴んで駆け出した。
 教室に向かいながら、千夜は早口に説明を始める。
「私さ、今日は日直だから早めに来たんだけど、七時前に騒ぎが起きた」
「七時前か……」
「丁度現場を見た生徒の話だと、悲鳴が上がったんだって」
 明里は、悲鳴など出さずに落ちていった。
「事故か、他殺?」
「その子は、慌てて屋上を見たの。そしたら……」
 千夜は一瞬間を空けた。
「よく見えはしなかったけど、誰かいたらしいよ」
 風切は、はっと顔を上げる。
「そいつが、突き落としたってことか?」
「可能性はあるよね」

 教室に二人が戻った時には、もう秋葉も登校していた。
「竹田が殺されたって?」
 ざわついている中、秋葉が声を落として尋ねる。
「何で殺されたって知ってるんだ?」
「みんな言ってるぜ。一年の男子が屋上に誰かいるのを見たから、そいつが犯人だろうって」
「ぺらぺら喋る内容じゃないだろ」
 風切は呆れた声を出し、椅子に座る。
「まあしょうがないんじゃない? 話したくなっちゃうよねー」
 千夜は苦笑した。
「この件って、明里の自殺と関係があるのか?」
「俺もそれが気になってたんだよ」
 風切は秋葉の方を向き、頷いた。
「関係ないってことはないだろうね。明里君の担任が殺されたとなると……」
 千夜の言葉を遮るように、教室の扉がガラガラと開いた。
「おーい、みんな静かにしろー」
 入ってきたのは三年一組の担任、東尾晴紀だ。
 二十代半ばの彼は田代と変わらないほど大柄だが、担当は英語である。黒髪に真面目そうな顔立ちをしており、年齢が近いためか生徒たちには慕われていた。
 生徒たちは一応静かになったものの、妙な空気は残ったままだ。
 東尾は「あー……」と困ったような声を出し、頭を掻く。
「落ち着けってのは無理だろうな。とりあえずみんな知ってるだろうが、竹田先生が亡くなった」
 ざわつく生徒たちに、東尾は「一回静かにしろ、な?」と言い、咳払いをした。
「隠そうとしても無理だろうから言うが、殺されたらしい。今、現場を見た生徒が刑事さんと話してる」
 誰かが小声で、「マジかよ」と呟いた。
「ああ、マジだ。これからこの学校に警察やマスコミが来るかもしれないが、あまり噂や憶測で勝手なことは言わないように」
 生徒たちは顔を見合わせながら頷く。
「どこのクラスでも今は臨時のホームルームをやってるから、授業は二時間目になるだろうな」
 さすがに一時間目が潰れて喜ぶ生徒はいなかった。
「俺が言えるのはこれくらいだ。質問があるやつは手を上げろ」
「先生」
 風切は、誰よりも早く手を上げた。
「竹田……、先生が殺されたのは、明里の自殺と何か関係あるんっすか?」
 彼は真面目に聞いたつもりだったが、東尾は溜め息をつく。
「そういうのが憶測っていうんだぞ」
「でも、無関係とは……」
「関係があるとは言い切れないだろ」
 風切は言葉に詰まる。
 しかし、これがただの偶然とは思えない。
「他はどうだ?」
 風切以外に手を上げる生徒はいなかった。
 東尾は息をつくと、真剣な顔をした。
「ここのところ事件が続いてみんな動揺してると思う。でも、そんな時だからこそ自分が何をすべきか冷静に考えるようにな。俺たちは職員会議があるから職員室に戻らなきゃならない。騒いだりせず、自習しておくように」
 そう言うと、彼は教室を出て行った。
 その後は当然、真面目に自習とはならない。生徒たちは近くの席の者たちと、「やっぱり殺されたんだ」とか、「でも何で……」などと話し出す。
「明里の自殺と関係ないってことは、ないよな」
 風切はぽつりと呟く。
「そりゃそうだろ。関係ない方がおかしい」
 秋葉はそう言うと、溜め息をついた。
「首突っ込んでいいのはここまでかもな」
「どういうことだよ、秋葉」
 風切は振り向き、問いかける。
「いや、事が殺人に及んだ以上、後は警察の仕事かと思ってさ」
 千夜は「まあねー」と頷くが、その本心は読めない。
「そう、か……」
 ――そう、だよな……。
 風切は高校生で、今自分が生きることに必死で、『犯人探し』という子供じみた冒険心に浸っている場合ではないということを思い知った。
 それが分からないほど、風切は子供ではない。
 ――俺にできることなんて、最初から無かったんじゃないか……。
 明里の自殺と竹田殺しが関連しているならば、警察が調べていくうちに明里のことも分かるはずだ。
 ――俺たちは、きっと真相をニュースで知ることになるんだ。
 風切は「ははっ」と笑ってみせた。
「ああ、俺、自分のことで精一杯なの忘れてたぜ。今日はさすがにバイト休めねえし」
 その言葉に、秋葉と千夜はどこかほっとしたようだった。

 放課後、今回は明里の時のように警察に話を聞かれることもなく、風切はバイト先へ向かった。
 彼のバイト先は学校からバスで三十分ほどのところにある鷲崎金融事務所である。
「どもっす、鷲崎さん」
 三階建てのこじんまりしたビルの二階にあるドアを開けると、窓際のデスクに座った金髪の男が「おう」と手を上げた。
 白いスーツにサングラスという格好の彼が、所長の鷲崎大和。二十歳にして小さいながらも金融事務所を経営している手腕は大したものであろう。
 鷲崎は風切が中学生の時の先輩だった。卒業してからも風切のことを気にかけ、バイトとして雇ってくれている。
 取立てなどの荒い仕事ではなく事務仕事だが、普通のバイトよりもいい額をくれる彼に風切は感謝していた。彼がいなければ、高校に通うことも危うかっただろう。
 狭い事務所には、所長の鷲崎の物以外にデスクが四脚ある。その一つに座った風切は、
「先輩たちは外回りっすか?」
 と訊いた。
「ああ、取立てに行ってる」
 鷲崎は答えると、胸ポケットから煙草を取り出し一服する。
「お前も吸うか?」
 風切は苦笑した。
「高校入ってから禁煙したんで」
「ああ、そうだった。高校といえば、大変らしいな、晴常」
「はい、そうなんっすよ。自殺に殺人に……」
「それにドラッグだもんなー」
「ドラッグ?」
 思わぬ単語に、風切はぽかんと口を開けた。
「何すか、ドラッグって?」
「ん? あれだよ、覚醒剤とかさ」
「いや、それは分かりますけど、うちの学校で?」
 今度は鷲崎が狐に摘まれたような顔をする。
「まさか生徒のお前らが知らないとはな。俺らのっつーか、ちょっとヤバい業界では噂になってるぜ。晴常でドラッグが出回ってて、使ってたやつが退学になったとか」
「先月退学になった生徒がいたのは知ってるけど、確か自主退学だったはず……」
「あー、学校側はそういうの隠してえんだな。事なかれ主義ってやつか」
 風切は鼓動が高鳴るのを感じた。
「ちなみに、ドラッグの噂っていつ頃聞きました?」
「んー、お前が三年になる頃だったかな」
 ――まさか……。
 風切は頭を押さえた。鷲崎の「どうした?」という声に返事をする余裕もない。
 ――まだだ。まだ、俺にはできることがある。



第三章
 翌日の放課後、まだ校内は不穏な空気に包まれていた。
 それでも皆、それぞれの日常を生きようとしている。
「バイト行くか」
「塾行かなきゃー」
 秋葉も、千夜も。
 一人になった風切は、文化部棟を目指した。
 漫研のドアを叩くと、「はーい」とるるの声が返ってくる。
「よう、この間は助かったよ」
 ドアを開けると、三人は描いていたものを机の下にさっと隠した。
「どうしたんですか? 風切先輩」
 瞳の問いかけに、風切は拳を握り締め、息を整える。
「あのさ、先月退学したやつの情報、教えてくれねえか?」
 三人は顔を見合わせる。
 そして、おずおずと風切に向き直ったのはリナだった。
「その……、何のために、ですか……?」
「明里のことを、知るためだ」
 平井のように真っ直ぐな目で見つめると、リナは下を向いてしまった。
「でも、もうあたしたちが首突っ込んでいい問題じゃないですよ」
 瞳は風切から目を逸らす。
「分かってる。でも、知りたいんだ。どんな危険が伴っても」
 すると、るるが「もーいいじゃん」と肩を竦めた。
「教えてあげましょうよ。その代わり、海戸先輩にあたしが協力したってちゃんと伝えてくださいね、風切先輩」
「るるったら、もー。ま、ここまできたら仕方ないか」
 その言葉に、風切はほっと息をついた。

 風切が足を踏み入れたのは、所謂クラブという所だ。
 薄暗いフロアにガンガンと頭が痛くなるほどの音量で奏でられるロックミュージック。そして煙草の匂い。
 ――ここにいるやつら、半分ぐらい十代じゃねえかよ。
 しかし、今はそのことを気にしている場合ではない。風切は漫研で見せてもらった写真の顔を探した。
「いた!」
 丸テーブルの周りに集まって何か飲んでいる――恐らくアルコールの類だろう――数人の少年たち。
「なあ、お前ら晴常生だろ?」
 風切は踊っている男女を掻き分け、彼らの中で一番体の大きな者の肩を掴んだ。
「あ?」
 髪を赤に染めたその少年は、気怠げな目で風切を見る。
「ドラッグのことで、話がある」
 その言葉を聞いた瞬間、彼の目付きが変わった。
「ここじゃ話せねえ、場所移そうぜ」
 そう言って、他の少年たちに何やら目で合図すると、彼らは歩き出した。
 風切はその後ろをついて行く。
 ドアを開け、階段を下り、たどり着いたのは地下駐車場だった。
「ここなら今は人もいねえ。お前、どこまであの話を知ってる?」
 赤毛はポケットに手を入れ、風切を見る。
「この間退学になったお前らのダチ、葛原がドラッグやってたってことぐれえかな」
 風切はそう言うと、相手を睨み付けた。
「ドラッグは、誰から買った?」
「お前もドラッグが欲しい……って感じじゃねえなあ。じゃあ、教えられねえよ」
 緑髪の少年が、後ろから風切りに殴りかかる。
「っ!」
 風切は振り返りもせずその拳を片手で受け止めた。
「なっ、なに!」
 そしてそのまま、驚いた様子の緑頭を投げ飛ばす。
「俺は普通に話をするつもりで来たんだ。でも、そっちがその気なら相手になるぜ」
 冷たい視線で、残りの四人を見つめる風切。
「はっ、一人で粋がってんじゃねえよ! ボコボコにしてやっかんな!」
 赤い少年がそう言うと、後の三人が風切りに殴りかかる。
 一人目の拳を腰を沈めて避けると、風切はそのまま相手に足払いをかけた。
 そして次の攻撃を右に避け、相手の顔面に拳を叩き付ける。
 三人目が怯んだところでその青い頭を掴み、腹に膝を入れた。
 リーダー格に視線を移す。
「なあ、そろそろ教えてくんねーか?」
 険しい顔で、彼に歩み寄った。
 ――残るは、こいつ一人。
 その油断がいけなかった。最初に投げ飛ばされた少年が後ろから忍び寄るのに、風切は気付かない。
 リーダー格がニヤリと笑った瞬間、彼はナイフを握った手を振り上げた。
「ぐあっ!」
 しかし、悲鳴を上げたのは彼の方だった。
 慌てて振り向いた風切の目に映ったのは……。
「秋葉!」
 その少年は秋葉の力強い回し蹴りを側頭部に受け、数メートル先で気絶していた。
「風切君、話を聞くんだから気絶はさせちゃ駄目だよ!」
 車の影に隠れている千夜の冷静な言葉に「おう!」と返した風切は、一気に赤毛の少年との間合いを詰めた。
 反応できないでいる彼に足払いをかけ、その腹を踏み付ける。
「ぐっ!」
「さあ、話せよ」
「わ、分かった……」
 風切の後ろでは、秋葉が他の少年たちが完全にのびているかを確かめている。
「じゃあ、まず一つ」
 風切は少年を見下ろし、問いかけた。
「お前らは、誰からドラッグを買った?」
「あ、明里だよ。この間自殺した……」
 ――やっぱり。
 風切の頭の中で、パズルのピースが嵌っていく。
「二つ目、ドラッグは普通に流通してるもんじゃなかった。そうだよな?」
「ああ、明里が言ってた。特製だから、中毒性は低いし他のよりよくトベるって」
「明里は、それを誰が作ったか言ってたか?」
「そりゃあ、俺たちだって知りもしねえやつの特製ドラッグなんて使わねえよ」
「誰が作ったんだ?」
「それは……」
 彼の口から出た名前を聞いた時、全てのピースがあて嵌った。

「これから、どうする気?」
 クラブを出ると、千夜は風切に問いかけた。
「学校に戻るわ。まだあいつ、いるかもしんねーし」
「そうか」
 秋葉は頷いた後、下を向く。
「お前がやる必要は、ないだろ」
「うーん、なんかほっとけないっつーか」
「風切君らしいね」
 千夜は苦笑した。
「でもさ、お前ら、バイトと塾は?」
「俺たちだって、お前のことほっとけねえんだよ」
「一日ぐらい休んでもどうとでもなるしね」
「そっか……」
 風切は、頭を掻く。
「サンキュ」
 久々に、本気で笑えた気がした。

 南校舎の屋上へと通じる階段、そこに彼はいた。
 立ち入り禁止のテープが張られたドアの前に、座っている。
「よう、平井」
 風切はそんな彼を踊り場から見上げた。
「大体のこと、分かっちまった。明里が死んだ理由とか、さ」
 平井は無言で風切を見る。
「見上げて話すのもなんだから、そっち行くな」
 風切は一歩、また一歩と階段を上っていった。
 その足取りは、非常に重い。
 平井の所までたどり着いた風切は、その隣に腰を下ろした。
「なあ、違ってたら言ってくれよ。今から俺、すっげー失礼なこと言うから。殴ってもいいぜ?」
 そう前置きして、息をつく。
「竹田を殺したのは、お前か?」
 平井は下を向いたまま口を開いた。
「そうだって言ったら、どうします?」
「そうだなあ、自首しろって言うかな」
「先輩が俺を警察に突き出したら、ヒーローになれますよ」
 風切は苦笑した。
「そういう柄じゃねえよ、俺は」
「そうですか」
 平井は顔を上げると、閉じられたドアを振り返って見つめた。
「飛び降りにきたんですけど、竹田を殺したせいで屋上に入れないんです。まだ捜査が完全には終わってないらしくて」
「明里が死んだ時点で、鍵はかけられてただろ?」
「はい。でも、竹田にドラッグのことで話があるから屋上に来いって言ったら、簡単に開けてくれましたよ」
 自分が殺されるとも、知らずに……。
「竹田は、自作のドラッグを明里に売らせてたんだな?」
 平井は頷いた。
「あいつ、バイトしなくて済むようになったからバスケ部に入ってみたいって、言ってたんです。俺、すっげー嬉しくて、何でバイト辞めたのかも聞かなかった……」
「聞かれても明里は言わなかっただろうな。ドラッグを売って稼いだ金で生活してる、なんて」
「あいつ、最初はきっと軽く考えてたんだと思うんです。ただ、普通の高校生活を送れるのが、すっげー嬉しかったんだ」
 その目に、涙が溜まっていく。
「一年の頃のあいつを、俺は全然知りません。学校にいる時間が少なかったから……。俺らみたいに部活したり、放課後ダチと寄り道したり、カラオケ行ったり……、みんなが普通にしてることを、あいつはできなかった」
「うん」
 風切は、平井の言葉をただ受け止める。
「あいつにとって、この二ヶ月はきっと輝いてたんだ」
「でも、見ちまったんだな。退学した葛原を」
「はい、ちょっと前に俺ら、街で葛原とすれ違ったんです。声かけても反応しなかったし、虚ろな目えしてた。ドラッグの、せいで……」
「副作用が他より軽いなんて、竹田の嘘だった」
「葛原、廃人みたいだった。それを見てから、明里はおかしくなったんです。自分の青春が、何を踏み台にしてるか、気付いて」
 平井は拳を握り締め、自らの膝を殴った。
「一番悪いのは、竹田じゃねえか! 明里は唆されたんだ! 俺たち、まだ高校生なのに……、なんで、明里だけが」
「明里はお前に、ドラッグを売ってることを話したのか?」
「最後の日に、話してくれました。でも俺、何て言ったらいいか分からなくて、部活に行くからって、あいつを一人にしちまった。自殺するなんて、思わなかった。何であの時、もっとちゃんと話さなかったのかって、今でも思います……。だから、俺があいつのためにできることは……、竹田を殺すことだけだった」
 そこで彼は、首を横に振る。
「いえ、最初は、殺すつもりはなかったんです。ただ、侘びの言葉が欲しかった。ちゃんと警察に行って、罪を償って欲しかった」
 何となく、想像はついた。
 竹田はきっと、笑ったのだろう。自分がドラッグを作っていたことが明らかになれば、明里がそれを売っていたことも皆に知れる。それは、死者に鞭打つ行為じゃないか、と。
「竹田を突き落とした後、怖くなって逃げました。後になって、大変なことをしたんだって気付いて、死のうと、思いました。でも、屋上には入れなくて……」
 平井は初めて笑った。自嘲げな笑みだった。
「変ですよね、他の死に方が思い付かないんです。あいつと……、明里と同じ、死に方しか……」
「空がとても青いから」
 風切は、ぽつりと呟いた。
「はい?」
「明里の最後の言葉、俺なりに考えてたんだ」
 風切の夢に出てきた明里は、青過ぎる空で溺れそうだと言っていた。
「比べちまったんだと思う。自分が過ごす青春と、空を」
「自分の過ごす、青春?」
「明里の過ごした青春は明るいもんじゃなかった。でもあの時の空は明るくて、透き通るほど青かった……」
 きっと彼の望んでいた青春は、あの空のように明るく、青いものだったのだろう。
 風切は平井の手を掴んで立たせた。
「ちょっ! 先輩?」
 そして、屋上のドアを思い切り蹴り開けた。
「鍵かかってても、意外と簡単に開くんだな」
 風切はそう言い、平井の手を引いて屋上へ出る。
 空はもう、暗くなり始めていた。沈みかける夕日は、郷愁を誘った。
「ここはもう、明里が飛び下りた屋上とは違う。あの日と全く同じ青空は、もう見られねえよ。だから……」
 平井の腕を、強く握った。
「だから、死のうなんて思うな」
 平井は、空を見上げる。
「俺、生きてていいんですかね?」
 その頬を、涙が伝った。
「俺はお前を受け入れるよ。生きろ」
「はい……。俺、警察に行ってきます」
 平井は決心したように頷く。その顔には、どこか晴れ晴れとした笑みが浮かんでいた。



エピローグ
 しばらくの間、晴常高校は大変な騒ぎに包まれた。
 生徒の自殺、教師殺し、ドラッグの売買は充分に衆目を集め、校門前には連日マスコミが押し寄せた。
 だが、一ヶ月ほどが経った今、世間は現代の切り裂きジャックと呼ばれる殺人鬼の話題に乗り換え、晴常高校には平和が戻り始めていた。
 気付けば開放されていた屋上で、風切は空を見上げる。
「空がとても、青いから」
 ――死にたくもなるよな、こんな青空の下で生きてたら。
 風切には、ずっと抱えているものがあった。
 風切の父親は、碌でもない男だった。
 酒を飲んでは妻子に暴力を振るい、働くこともしなかった。
 そんな夫に見切りを付けた母は、出て行った。
 風切が小学校から帰った時、母が残した書置きを見て背中を震わせていた父を思い出す。
 父は、泣いていた。そして、風切の肩を強く掴んだ。
「お前だけは、俺を捨てないでくれ。俺を、拒絶しないでくれ……」
 ――何言ってんだこいつ。
 今までの父の行動を見てきた風切は、そう思った。
 この男は捨てられて当たり前だと、思った。
 それでも家族という絆は歪み、彼は父を捨てられずに育っていく。
 小学生にとって親という存在はあまりにも大きい。その言葉を受け止め、何も変わらない父親と共に無為な時間を過ごした。
 学校が終わればすぐに帰り、ただ酒を飲んでいる父を見ていた。
 そんな親子関係は、風切が中学生になると変わり始める。
 小学生の時よりも密な友人関係。決して良い相手ではなかったが、風切には仲間と呼べる者たちができた。
 それは所謂不良の集まりだったが、父の束縛を馬鹿にする友人の力は大きかった。
 ――そうだよ、何で俺が、あんな親父と一緒にいなきゃなんねえんだ。
 親を否定する反抗期の少年たちと同調した風切は、日に日に家に帰る時間を遅くしていった。
 煙草を吸い、酒を飲むという不良行為を心から楽しむ風切。
 ある日、彼は朝帰りをした。
 丸一日家に帰らず、友人たちと騒いだ。
 帰ってドアを開けると、天井から父がぶら下がっていた。
 首を吊って、死んでいた。
 帰らない息子を想い、自分はまた拒絶され捨てられたのだと思い、自ら命を絶ったのだ。
 歪んだ親子の絆は一方が消えても無くなるものではない。残された者に絡まり、締め付け、苦しめ続ける。
 鷲崎との出会いで、少しは変われた。秋葉という親友のおかげで、また少し変われた。千夜と付き合い始めて、更に変わったつもりだ。
 ――それでもまだ俺は、囚われてる。怖いんだ、誰かを拒絶するのが……。
 風切は空に手をかざす。
 平井は許されないことをした。それでも風切は、それを受け入れる。
 明里が本当に自分に向けて手を伸ばしたのか、思い出せない。それでも、その手を掴もうとする。
「結局俺がやったことって、全部自己満足なんだよな」
 自嘲し、溜め息をつく。
「なーに黄昏てるの、風切君」
 千夜の声に振り返る。
 千夜は風切の隣に来て、上を向いた。
「空、青いね」
「ああ、青い」
「青春ってのは、ひどく脆くて、儚いものなんだろうね」
「中二病かよ」
「違うって。ねえ、観たい映画があるんだけど」
「どんなんだ?」
「ゾンビになった鮫が人間を食べまくるやつ」
「お前、意外とB級ホラー好きだよな……。ま、一緒に行くけどさ」
 二人はぼんやりと空を見上げた。
「ほんと、青いな」
「うん、青いね」
「行くか」
「うん」
 二人は顔を見合わせて手を繋ぎ、屋上を後にする。
 あまり明るくない青春を送る彼らは、この青過ぎる空で溺れないように誰かの手を掴むのだ。
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テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

  1. 2017/03/01(水) 10:52:09|
  2. 没小説
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