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第一話『医師との遭遇』

 以前書いていたものの修正版ですが、晴天もシリーズとして続けることにしました。
 便利屋の主人公、晴海は依頼を受け別荘に書類を運ぶことになるが、彼を邪魔する者は…。


『医師との遭遇』

 あの日は、雨が降っていた。
「殺して」
 その声は、雨音にかき消されそうなほどか細い。
 女はもう一度、はっきりとその言葉を口にした。
「私を、殺して」
 長い黒髪は濡れ、白いワンピースも体に張り付いている。
「お願い、貴方にしか、頼めないの」
 儚い笑みに誘われ、彼は彼女の首に手をかけた。
 細い首に、彼の指が食い込んだ。
 女は苦悶の表情を浮かべることもなく、来るべき死を受け入れる。
 ただ、掠れた声でこう言った。
「ありがとう」

 晴海天一はガバッと起き上がった。
 六畳ほどの畳敷きの部屋。窓から外を見たが、雨は降っていない。
「夢かよ」
 晴海は肩ほどまでの金髪をガシガシと掻くと、布団を畳んで部屋の隅に押しやった。
 台所で顔を洗い、さっぱりすると着替え始める。
 髪を撫で付け、開襟シャツにジーパンへと着替えると気が引き締まった。
 更にサングラスをかけながら階段を降りる。
 一階にはチョコレートや飴、煎餅、スナック菓子など駄菓子が並んでいる。
 ここは昭和さながらの雰囲気の駄菓子屋である。
 晴海は店を開けると、棚から小さなスナック菓子を取り、カウンターに座った。
「さ、朝飯朝飯」
 袋を開け、塩辛く体に良いとは言えないであろうスナックを口に運ぶ。
 外には『駄菓子屋晴天』と書かれた木製の看板がかかっている。その隅には小さく『各種相談事承ります』とあった。
 ここは駄菓子屋であり、便利屋でもあるのだ。
 スナック菓子を食べ終えた晴海は指を舐め、ティッシュで拭った。
「今日は客、来るのかねえ」

 微かに学校のチャイムが鳴るのが聞こえた。
「お、もうこんな時間か」
 今日の客は数人の小学生たち。彼らは学校から帰ったあと、小銭を握り締めて駄菓子を買っていった。
 海が見える高台にあるこの店には常連がいる。そんな小学生たちと……。
「こんにちはー、晴海さん」
「どもー」
 愛らしい顔立ちに茶色の髪を長く伸ばした小柄な少女と、きりっとした顔立ちで金色の髪をショートカットにした背の高い少女が、二人で店に入ってくる。
 東城奈津美と坂上志亜。ここから二、三分ほどのところにある晴常高校の生徒だ。
 グレーのブレザーに黄色のネクタイ、黒いプリーツスカートという格好の彼女たちは、いつものように飴とチョコレートを手に取りカウンターに持ってくる。
「おう、今日は学校どうだった?」
 晴海は小銭を受け取りながら問いかける。
「いつも通りね。あ、もうすぐテストなの。勉強しなきゃ!」
「やあよねー、あたし古典苦手だなー」
「はは、高校生も大変だな」
 学校帰り、頻繁にやって来る奈津美と志亜。彼女たちと晴海は、いつもこうして世間話をする。晴海にとっては年の離れた妹のような存在だった。
 いつもはもう少し話していく二人だが、今日は思わぬ来客がある。
 「あの……」という声に入口を見ると、スーツ姿の若い男が立っている。
「すみません、依頼をしたいのですが……」
 どうやら彼は便利屋の方の客らしい。
 晴海は立ち上がると、
「二階に上がってくれ。話を聞くよ」
 と、依頼人に階段を上がるよう促した。
 奈津美と志亜は察したように、「また来るね」「じゃーね」と店を出て行く。
 晴海は店先に『来客中』という札を掛けると、二階に上がった。
 壁際に布団が押しやられた部屋。そこの卓袱台の前に、依頼人はどこか落ち着かない様子で正座をした。
「どーぞ」
 晴海が彼の前に茶を置く。
「あ、ありがとうございます」
「で、依頼内容は?」
「これを運んでほしいんです」
 依頼人はスーツケースを卓袱台の上に置いた。
「大事なプロジェクトに関する書類が入っています。メールでは盗聴の可能性があるので、直接取引先に渡していただきたいんですよ」
「ああ、そういう依頼か、分かった。いつどこに届けりゃいいんだ?」
「これに書いてきました」
 依頼人はポケットからメモを取り出す。
 書かれていたのは郊外にある別荘地だ。車で二、三時間というところだろう。
「明後日なのですが、大丈夫でしょうか?」
「ああ、問題ねえ」
 駄菓子屋の方は半日閉めることになるが、特別問題は無かった。
「これは前金です。残りは終わってからお支払いしますので」
 出された封筒は分厚い。中身が千円札でない限りなかなかの大金のはずだ。
「約束の時間に別荘の鍵を開けておきますので、お願いします」
 彼は一礼すると帰っていった。
 その後ろ姿を見ながら、晴海は首を傾げた。
「どこかで見たことあるような気がすんだよな……」
 最初から既視感はあった。だが思い出せないというもやもやとした気持ちが晴海の胸に渦巻く。
 彼は便利屋として危険な仕事を請け負うこともある。気になることがあれば放っておくのも気持ちが悪い。
 晴海は携帯電話をポケットから出すと、ある番号に電話をかけた。
「あ、人留さんか? ちょっと頼みてえんだけど」

 翌日の夕方、彼は店に入ってきた。
 ワイシャツにネクタイ、グレーのズボン姿の190センチはある大男だ。
「よお、晴海」
 茶色の髪をオールバックにし、無精髭を生やした彼、人留献也は中に入ると軽く手を上げた。
「ああ、そっちは調子どうだ?」
「まずまずってとこだな」
 彼は人留探偵事務所の所長であり、晴海の友人でもある。
「とりあえず依頼人が映った防犯ビデオの映像貸すから、ちょっと調べてくれねえか?」
 晴海は用意していたビデオを人留に渡す。
「ああ、分かった。見覚えがある相手らしいな?」
「そうなんだよ、ただの思い違いならいいんだが」
 人留はそれをポケットに入れると、棚にある板チョコをカウンターに置いた。
「サンキュ」
 晴海は千円札を受け取ると釣りを渡し、
「報酬は後払いでいいか?」
 と、確認する。
「ああ、結果が出てからで」
「よろしく頼む」

 指定された日、晴海はレンタカーで高速道路を走っていた。
 まだ人留から連絡はないが、仕事は仕事だ。
 夕日が沈もうとしている空に目をやり、小さく呟く。
「七時に着きゃいいんだったな。まだ時間はあるし、パーキングエリアで晩飯食ってくか」
 今の所は尾行してくる車などもない。依頼人の件が自分の思い過ごしだとすれば、かなり楽な仕事になりそうだ。
 パーキングエリアに入ると、晴海は助手席に置いていたスーツケースを手にフードコートへと向かった。それなりに広いそこでは数組のカップルや家族連れが食事をしている。
「そういや、連休も終わりだったな。旅行帰りかねえ」
 晴海は独りごちた。
 カウンターにはハンバーガーやサンドイッチなどの軽食から丼物、麺類まで幅広く揃っていた。
「醤油ラーメン一つ」
 適当な物を頼み、できるまで待つ。インスタントなのであろうそれはすぐにできあがり、手渡された。
 晴海は空いている席に座ると、うまくもまずくもないラーメンをすすった。一人で食べるラーメンというのはどうしてこうも味気ないのだろう。
 とはいえ、ふと辺りを見ると彼以外にも一人で食事をしている者がいた。数メートル先の席では白衣を着た女が長い黒髪を耳にかけ、天ぷら蕎麦をすすっている。
 白衣ということは医者だろうか。出張かもしれない。
 ほんの少しの親近感を覚えながら、ラーメンを食べ終えた晴海は返却口に器を返しに行った。
「さ、そろそろ行くか」
 晴海が出口に向かおうとした時、椅子が倒れる音がした。音のした方を振り向くと、カップルの女が倒れている。
「おい、大丈夫か!」
 男はその肩を掴むが、意識がないらしい。
「どうした!」
 晴海は放っておけず、二人に駆け寄った、
 周りの人間たちもざわめき始め、突然のことに驚いた子供は泣き出す。
「彼女が、突然倒れて……」
 男はパニック状態なのか、女の肩を掴んだまま揺さぶった。
「待ってください」
 そんな中、落ち着き払った声が響く。
「揺さぶってはいけません。私は医者です、見せてください」
 声の主は天ぷら蕎麦を食べていた白衣の女だった。
「は、はい!」
 男は彼女に女の体を委ねる。
 白衣の女はペンライトで女の瞳孔を調べていたが、思い出したように晴海の方を向いた。
「すみません、救急車を呼んでいただけますか?」
「おう!」
 晴海はジャージのポケットから携帯電話を取り出し、119番にかけた。医者はその間にも脈の確認などをしている。
 彼女のおかげで周りの客たちは落ち着きを取り戻し始めていた。泣いていた子供も安心したらしく、静かになっている。
 そして一通り調べ終えた彼女は男の方を向き、微笑んだ。
「貧血のようです、心配することはありませんよ。ただし、倒れた時に頭を打っている可能性があるので病院で検査をしてもらってください」
「はい、ありがとうございます!」
 男の礼の言葉に救急車のサイレンが重なる。すぐに救急隊員たちが担架を持って現れ、白衣の女と少し話をした後倒れた女を運んでいった。
「あの、ありがとうございました!」
 男は晴海にも礼を言うと、彼女に付き添っていった。
「大したことなくて良かったぜ」
 ほっと息をついた晴海に、白衣の女が歩み寄る。
「救急車を呼んでいただいて助かりました、一度に全てはできませんからね。私は藍澤時雨といいます」
 時雨はそう言うと左手を差し出した。
「ああ、いや。あんたのおかげでこっちも冷静になれたよ。俺は晴海天也だ」
 晴海はその手を握る。
 時雨はよく見るとなかなかの美人だった。切れ長の瞳は凛々しい印象を与え、細く背の高い体はモデルのようである。年は晴海と同じぐらいだろう。
 ――美人で医者、か。天は二物を与えずって言うけど、ありゃ嘘だな。
「ご旅行ですか?」
「いや、仕事だ。あんたは?」
「私も仕事です」
 やはり出張か何からしい。
 晴海は腕時計を見て「やべっ」と声を上げた。
「どうしました?」
「俺、もう行かねえと。じゃあな、時雨先生」
 早めに出発したため遅れはしないが、時間ギリギリだ。
 晴海は置いていたスーツケースを手に取ると、フードコートを飛び出した。

 それから一時間ほどが経ち、晴海は木々に囲まれたロッジの前で車を停めた。
「一番ロッジだからここだな、間に合って良かったぜ」
 ドアノブに手をかけると、依頼人の言っていた通り鍵は開いていた。
 窓に打ち付けられた板を見る限り使われていないようだが、電気は通っているらしくスイッチを押すと明かりがついた。
 晴海は椅子の埃を払うと腰を下ろした。
「後は相手が来るのを待つだけ、か」
 森の中の別荘は静かで、晴海の呼吸の音と腕時計の針が動く音しかしない。
 ――ここまで静かだと落ち着かねえな。
 トントンと床を踏み鳴らして気を紛らわせる。
 時計の針が七時を指した時、車のエンジン音が静寂を破った。
「お、来たか」
 車の音はロッジの前で止まり、足音がこちらに向かってくる。
 そして、ドアが開いた。
「あれ」
 先程会ったばかりの人物の登場に、晴海は間抜けな声を上げた。
「時雨先生じゃねえか」
 立ち上がった晴海と対峙したのは、パーキングエリアで握手をした藍澤時雨だった。
「やはり貴方でしたか」
 時雨は穏やかな笑みを湛えたまま、晴海との距離を詰める。
 白衣のポケットから出された右手を、晴海はとっさの判断で後ろに下がって避けた。メスが晴海のいた空間を切り裂いた。
「おいおい、どういうことだ?」
 晴海は時雨をキッと睨み付けた。時雨は臆することなくくすくすと笑う。
「鈍い方ですね、私はあの時左手を出しましたよ。左手での握手は……」
 ――敵対の証。
「つまりお前は、これを奪いにきた敵ってことか」
 スーツケースを持ち上げると、時雨は頷いた。
「貴方を殺して奪えという依頼を受けました」
「医者じゃなかったのかよ」
「それは表の顔です。裏では殺し屋をしていましてね」
 時雨の手が横に滑り、晴海目掛けてメスが飛ぶ。
 晴海はそれを人差し指と中指で受け止めた。そして時雨に駆け寄り蹴りを放つ。
 時雨は体勢を低くし、それをかわした。
 互いに間合いを取ると、晴海は笑った。
「さすがだな、いい反射神経してるじゃねえか」
「それはどうも。貴方もなかなかの手練とお見受けしますが」
「そうかよ」
 時雨は何かに気付いたように、「ああ」と声を上げる。
「貴方、もしかして『雨男』さんでは?」
「あ?」
 懐かしい呼び名を聞き、晴海は顔を顰める。
「噂に聞いていた外見通りなので。雨の日にしか仕事をしない殺し屋、雨男……」
 時雨は小さく笑う。
「何故か突然、殺し屋業界で貴方の噂を聞かなくなりましたねえ。三年前が最後だったでしょうか」
「黙れよ」
 晴海は一気に距離を詰めた。彼の手刀を時雨がかわし、数本のメスを放つ。避け切れないと判断した晴海はスーツケースを盾にした。メスが刺さるが、この感覚なら恐らく中身は無事だろう。
「壊れ物じゃねえんだ、許せ!」
 晴海はそのまま振り抜いた。
「うっ!」
 即頭部にスーツケースの一撃を喰らった時雨はよろける。
 そこまでは良かったのだが……。
「げっ!」
 衝撃でスーツケースが開き、百枚ほどの書類が宙を舞った。
「やべえっ!」
 慌てて集めようとした晴海はあることに気付いて立ち尽くす。
「全部、白紙……?」
 文字も図も書かれていない、ただの白い紙ばかりだった。
 ふらついた時雨も落ちた紙を拾い光にかざしたが、何の変哲もない紙だった。
「どういうことだよ……」
「これは偽物で、本物は貴方のお仲間が別の所に運んでいる、ということですか?」
「いや、確かにこれが依頼人から預かったもんだ」
 二人は舞い散る白紙の中で顔を見合わせた。
「どうやら俺たちは……」
「踊らされているようですね」

 数分前からロッジのドアを数センチ開け、中を覗いている男がいた。柄シャツにジーパンというラフな格好だが、それは紛れもなく依頼人だった。
「ちっ、気付きやがったか。潰し合ってもらおうと思ったのによお」
 男は舌打ちをすると、持っていたポリタンクの蓋を開けた。
「仕方ねえ、二人揃って焼け死んでもらうぜ」
 ポリタンクの中身――灯油がまかれ、火のついたライターが投げられた。

 中にいた二人はすぐに異変に気付いた。
「この臭い、灯油か!」
「早く出ましょう!」
 ドアに駆け寄った二人だが、ドアノブに手をかける前にそこは炎に包まれた。
「火の回りが早い! 他に出られるとこは……」
 慌てて後ろに下がった晴海はロッジ内を見回した。
 ドアのある壁以外の面に窓は三枚ある。板が打ち付けてあるが、それぐらいならば簡単に破れる。
 晴海は火の手から離れた窓に椅子を叩き付けた。
「よし、割れた!」
 ほっと息をついたが、火の手はドア以外からも上がっていた。早く逃げなければ危険だ。
「何箇所か火をつけたようですね。まったく、手の込んだことを……」
「とにかく、早く出るぞ!」
 晴海が時雨の方を振り返った時、小さな爆発が起こった。
「くっ!」
 飛んできた火の粉から、晴海は腕で顔をかばう。
 目を開けた時、衝撃で倒れた棚が二人の間で炎の壁となっていた。
「くそっ! なんとかこっちに来られねえか!」
 このままでは時雨が取り残される……。
 しかし、時雨は冷静な様子だった。
「難しいですね。貴方だけ逃げてください」
「見殺しにできっかよ!」
 晴海は腕が炎に炙られるのも気にせず、彼女に手を差し伸べる。
 時雨は首を横に振った。
「殺し屋としての依頼が反故になった今、私は医者です」
 その顔には何かを悟ったような静かな笑みが広がっていた。
「死を受け止めるのも医者の仕事のうちですよ。たとえ直面しているのが、自分であっても」
 晴海はギリっと奥歯を噛み締める。時雨はそんな彼を見つめた。
「そして生きられる者を生かすのが仕事です。行ってください、晴海さん!」
 炎はロッジ全体を飲み込もうとしていた。もう、手遅れなのだろう。
「く……っ」
 晴海は窓から外へ飛び出した。
 振り返ると、ロッジは炎を吹き上げ崩れ落ちるところだった。
「晴海」
 人留の声に、晴海ははっとした。
「そいつは……」
 呆然としている晴海の前に、人留は気絶している男を投げ捨てた。
 他でもない、依頼人だ。
「やっと調べがついた。以前お前が潰した暴力団の下っ端だ。覚えてないか?」
 晴海はもう一度倒れている男に目をやった。
 そうだ、この格好なら分かる。一年ほど前に地上げ問題で壊滅させた暴力団、その事務所でこの男を見た覚えがあった。
 確かその後、リーダー格の男が殺し屋に命を奪われたという噂を聞いた気がする。
「その殺し屋が、時雨か。俺がもっと早くに気付いてたら……」
 晴海は未だ炎が揺らめくロッジの残骸に目をやる。
「畜生……」
 遠くから、消防車のサイレンが聞こえてきた。

「晴海さん、晴海さん!」
「ん? ああ、どした?」
 奈津美の声に、晴海は我に返る。
「その手、ちゃんと病院に行った方がいいわよ」
 袖から覗く右手は赤くなっている。時雨に手を伸ばした時にできた火傷だ。
「別にこれくらい、大したことねえよ」
「だめよ!」
 珍しく奈津美が大声を出す。
「そうそう、何かあったらどうすんの。あたしたち、ここでお菓子買えなくなっちゃうじゃん」
 志亜も渋い顔で頷く。
 そんな二人に見つめられ、晴海は苦笑した。
「分かった分かった、行ってくるよ」
 本当は病院に行くのは気が重かった。勿論怖いわけではない。医者を見たら、時雨のことを思い出してしまうからだ。
 ――それじゃあ逃げてるだけだ。駄目だな、俺は……。
 彼女たちに心配をかけるのも嫌で、晴海は財布をポケットにねじ込むと駄菓子屋に閉店の札を掛けた。
 歩いて十数分の所に総合病院がある。そこで見てもらおう。

 保険証を受付に出した晴海は、広いロビーのソファに腰をかけて自分の番を待っていた。
 忙しそうに目の前を通り過ぎていく医者たちに、やはり時雨の姿を重ねてしまう。
 時雨は殺し屋だった。きっといくつもの命を奪ってきたのだろう。
 しかし、と晴海は思う。
 同時に医者として、いくつもの命を救ってきたはずだ。
「何で、助けられなかったんだろうな、俺は……」
 ぎゅっと目をつぶると、炎の中で微笑む時雨の姿が蘇った。
「藍澤先生、205号室の患者さんのことなんですが……」
 看護師の女の声に、晴海は目を開けた。
「分かりました」
 返事と共に白衣の裾を翻して向かうのは、時雨だった。
「時雨!」
 晴海は立ち上がり、その肩を掴む。
「はい?」
 振り返った彼女は晴海を見ると「ああ」と声を上げ微笑んだ。
「生きてたのか?」
「ええ、奇跡的に少しの火傷で済みましたよ」
 そう言って、包帯の巻かれた左手を見せる。
「そうか……」
 晴海は安堵の気持ちで体から力が抜けていくのを感じた。
「藍澤先生?」
 看護師が怪訝そうな声を上げる。
「すみません、すぐに行きます」
 時雨は晴海に右手を差し出した。
「またお会いしましょう、晴海さん」
「お、おう」
 晴海はその手をおずおずと握る。
 「では」と去っていく時雨の背中を見つめ、晴海は笑った。
「なんか拍子抜けしちまったぜ、ははっ」
 そして、右手を強く握り締めた。
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テーマ:オリジナル小説 - ジャンル:小説・文学

  1. 2016/02/04(木) 20:15:05|
  2. 没小説
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