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小説『現代の切り裂きジャック』

 修正した『コロシヤンラプソディー』一話目からエロを抜いてアップします。
 没カテゴリのコロシヤンと少しだけ変わっていますが、基本的にはいっしょです。あちらにはいないキャラがいたりしてますが。

※小説家になろうというサイトと重複投稿しています。
『現代の切り裂きジャック』

 夜の繁華街、男と女が派手に飾り付けられた大人のための城、ラブホテルから出てくる。

「今日は楽しかったよ。また相手をしてくれるかな?」

 サラリーマンらしき中年男は、ミニスカートの女の肩を抱き寄せた。

「またお小遣いが欲しくなったら連絡するわ、じゃあね」

 女は二十歳になっているかどうか。派手に施されたメイクは、むしろ彼女の自然な美貌を損なっているように思える。

 そんな彼女は男と別れ、帰路についた。

 ――帰ったらもう一回シャワーを浴びなきゃ。

 どうにもラブホテルの安いボディーソープは好きになれない。いつも使っているものでもう一度体を洗い流すのが売春の後のパターンとなっていた。

 後ろを付いてくる青年に、まだ彼女は気付いていない。

 丁度道には人気がない。繁華街を少し離れると、急に寂しい道になる。

 青年は足音を殺して女に忍び寄る。

「キャッ!」

 その手が彼女の長く茶色い髪を掴んだ。

 白い喉が月光の下に露わになる。そこ目掛けて、鋭く光るナイフが突き立てられた。

 もう彼女は悲鳴を上げることもできない。しかし、まだ息絶えてはいないだろう。

 青年は一旦ナイフを抜き取ると、もう一度突き立てる。そしてそのまま横に切り裂いた。

 彼女の体が纏っていた安物のボディーソープの香りは、血の匂いにかき消された。

 男から渡された三万円、その中からほんの千五百円だけ使ってタクシーに乗っていれば、彼女は命を落とさずに済んでいただろう。



 海辺に位置する晴空市。その中心にそびえる白い巨塔、晴空総合病院。

 外科に勤める医師、藍澤時雨はワイシャツに青いネクタイ、紺のスラックスという格好の上に白衣を着たまま病院を後にしようとしていた。

「あら、先生。お帰りじゃないんですか?」

 カルテを運んでいた若い看護師の女が問いかける。

 時雨は長い黒髪をなびかせ、振り返った。

「いえ、帰りますが」

「でも、白衣……」

 看護師の指摘に、時雨は切れ長の瞳を細めて微笑む。

「ああ、帰宅前に片付けなければいけない仕事があるもので」

「そうなんですか、大変ですね」

「ええ、では」

 百七十センチ以上ある長身に、モデルのような細い体。それが自動ドアの向こうに消えると、看護師は「ほう」と溜め息をついた。

「藍澤先生って、若いのに優秀だし美人だし、素敵だなあ……」

 どこか中性的な魅力のある時雨に憧れる看護師は少なくない。

 来年で三十歳になるはずだが、浮いた噂一つないストイックさ、そしてプライベートを明かさないミステリアスな所も彼女の魅力の一つと言えるだろう。

「病院の外の藍澤先生って、どんな感じなのかなあ……」



 時雨はある事務所に足を踏み入れた。

「誰だ?」

 デスクに足を乗せ、タバコを吸っていた男たちの十個の目が、時雨に向かう。

 一瞬の緊張の後、彼らはゲラゲラと下品な笑い声を上げた。

「なんだ、白衣の美人さん。コスプレデリヘルなんて頼んでねえぜ」

 ヤニで汚れた壁と靴跡の残る床。窓際に一脚のデスク、更に部屋の中心で向かい合った四脚のデスク。所謂暴力団事務所には、白衣姿の時雨は不似合いだった。

 立ち込めるタバコの匂いに顔を顰めた時雨に、一番近くのデスクに着いていた男が立ち上がり、「おい」と詰め寄る。

「失礼します」

 時雨はそう言ってその横をすり抜けた。

 一呼吸置いたところで男の首から血が噴き出し、スローモーションのようにゆっくりと倒れ込んだ。

「な……」

 組員たちの間にざわめきが走る。

「てめえっ!」

 事切れた男の向かい側に座っていた男が立ち上がると、時雨の白い手が動く。

「ぐあっ!」

 叫び、椅子に倒れ込んだその男の左胸に刺さっていたのは医療用のメスだった。

「あと三人、ですか」

 時雨は息一つ乱さず呟き、命知らずにも拳を固めて向かってくる二人の首を、右手に持ったメスで掻き切った。

「畜生! 何だってんだ!」

 一人残されたリーダー格の男は、慌ててデスクの抽斗から拳銃を取り出す。

 だが、矢のように飛んだメスがその手を掠め、拳銃は床に落ちた。

「何かと訊かれたら、殺し屋とでもお答えしましょうか」

 薄い唇がそう告げた時、彼女はもう男の前に立っていた。

「ま、待……っ!」

 男の叫びは喉を切り裂かれることによって虚しく途絶えた。

「今日の仕事はこれで終わりですね」

 その白衣は一滴の血も被ってはいない。

 鞄から書類を取り出し確認する時雨の姿は、カルテを見る医師ののそれと何ら変わりはなかった。

「さて、これで帰宅できます」

 床を濡らす血を踏まないように注意し、彼女はドアに手をかけた。

 そこでふと思い出したように振り向き、五人の遺体を見つめて呟く。

「死はいつでも、貴方の側に」



 翌日、病院での仕事が休みだった時雨は仲介屋のマンションに向かった。

 市内にあるごく普通のマンションに仲介屋、呉羽貴文が住んでいる。

 時雨は赤い愛車を駐車場に停めると、エレベーターに乗り七階のボタンを押した。

 目的の階で降り、廊下を真っ直ぐに進む。L字型になった廊下の角にある705号室のインターホンを押した。

「時雨です」

「ああ、開いてるから入ってくれ」

 そう言われてドアを開ける。短い廊下を抜けて殺風景なリビングに入ると、黒髪にサングラス、そしてブラウンのスーツをだらしなく着崩した三十過ぎの男がデスクに向かっていた。彼が呉羽だ。

 そんな彼に向かって――つまり時雨に背を向けて――黒髪をショートカットにした女が身を乗り出している。

「だからさあ、呉羽君。一人くらいはいるでしょ、使えそうな子」

「いや、だからうちが仲介してんのは殺し屋だっつーの。殺しが専門のやつ」

「その殺し屋が欲しいんだよ、私は」

 物騒な会話だが、時雨自身殺し屋だ。驚くことはない。とはいえ、用事を早く済ませたいので割って入ることにした。

「あの」

 進み出て女の横に立つと、呉羽は頭を掻きながら時雨を見た。

「悪いな、ちょっと無茶な依頼されてて」

「無茶って君ね、殺すより楽でしょ。――ん、お医者さん?」

 女は白衣姿の時雨を目に留めると小首を傾げ、

「呉羽君、どこか悪いの?」

 と、呉羽に視線を戻す。

「いや、至って健康だ」

「だよね、君が悪いのは顔と頭だけだもんね」

「お前な、殺し屋けしかけるぞ」

「けしかけてよ、雇うからさ」

 ポンポンと飛び交う軽口に、時雨は戸惑う。

「呉羽さん、この方は?」

「ああ、こいつは……」

 呉羽が紹介する前に女は体ごと時雨の方を向き、微笑んだ。

「私は絆紗々。彼の友人だよ、よろしく」

 差し出された手を、時雨はおずおずと握った。

 紗々はノースリーブハイネックの黒いリブ生地のセーターに白いジーパンというシンプルな格好をしているが、肉付きが良く顔立ちも整っているため、とてもとても妖艶に見えた。歳は呉羽と同じぐらいだろうが、雰囲気が若々しい。

 ――何を食べたらそんなに大きくなるんでしょうね。

 時雨は自らの平らな胸と紗々の豊満な乳房を見比べ、溜め息をついた。

「で、君は殺し屋? それとも依頼人?」

 その問いに時雨は返事を躊躇ったが、

「こいつは殺し屋だ」

 呉羽がさらりと答えてしまう。

「呉羽さん!」

 焦る時雨を、彼はまあまあと宥めた。

「大丈夫、ここに来てる時点でこいつだってまともな人間じゃねえから」

「私はただの心理学者だよ」

 紗々はそう言って肩を竦める。

「ただの心理学者が殺し屋を雇うかよ。しかも殺し以外の目的で」

「殺し屋を、殺し以外の目的で?」

 時雨は呉羽の言葉を繰り返し、首を傾げた。

「だからちょっとした研究だってば。物騒な話じゃないよ」

「いや、お前の物騒の基準って何?」

「あの!」

 二人の会話はこのままだといつまで経っても終わりそうにないと思った時雨は、デスクに手を突いた。

「昨日の報酬を」

 呉羽は思い出したように「ああ」と声を上げ、抽斗から封筒を取り出した。

「ほい、五人で250万」

「どうも」

 受け取ったそれを、時雨は鞄に仕舞った。

「では、私はこれで」

 背を向けようとした時雨の腕を、紗々が無遠慮に掴む。

「何ですか?」

 時雨は眉間に皺を寄せ、振り返った。

「君、名前は?」

 どこか人を喰ったような笑みで問いかける紗々。

 時雨は答えて良いものか悩んだが、呉羽が頷くのを見て、

「藍澤時雨です」

 と、答えた。

「白衣は趣味?」

「仕事の時はこの格好と決めているので」

「報酬を受け取るのも仕事のうちってことか。こいつは表向き医者をやってんだよ」

 呉羽が余計なことまで教える。

「医者で殺し屋、か。興味深いな」

 紗々は「ふむ」と息をつくと、ようやく時雨の腕から手を離した。

 そして時雨に向き直る。

「彼女を買いたい」

 時雨は「はあ?」と素っ頓狂な声を上げた。

「いや、買うとかそういうのじゃなくてだな、うちは一件いくらで雇うようになってんだよ」

 呉羽も困ったようで、冷や汗をかいている。

 だが、紗々はそんなことを意に介さずショルダーバッグに手を入れた。

「とりあえず前金で一千万。今度あと四千万持ってくるよ」

 取り出したのは、先程時雨が受け取ったものより四倍分厚い封筒だ。それをデスクに置く。

「合計五千万で、彼女を引き抜きたい」

「ご……」

 人の目の色が変わる瞬間というものを、時雨は初めて見た。

「時雨!」

「お断りします」

 こちらを向いた呉羽を一喝する時雨。

「私は売り物ではありませんよ」

「便宜上売り買いという形になるだけだよ」

 紗々は笑い、時雨の手を取った。

「な、何です……?」

 更に、時雨の顔を見上げる。その表情はさっきまでの人を喰ったような笑ではなく、真剣なものだった。

「君が欲しい」

 男が女を口説くように、女が男を誘うように、紗々は囁いた。

 絆紗々という女は真剣な顔をすると同性の目から見ても魅力的で、時雨は思わず顔を赤らめた。

 しかしすぐに我に返り、その手を払いのける。

「お断りします!」

 そもそも仕事内容は本来の殺しではないのだ。この口ぶりでは性処理でもさせられかねない。

「えー、時雨さんって私の好みなんだけどなー。美人だし胸無いし」

 紗々は再び笑みをを貼り付け、時雨にとっての地雷を思い切り踏み付けた。

 時雨は一瞬の間で紗々の首筋にメスを突き付けると、

「貴女が私のターゲットでなかったことを、神に感謝するんですね」

 そう言って、紗々の言葉にさり気なく噴き出した呉羽を一睨みした。

「では、失礼します」

 705号室を後にした時雨は、いつもより荒い運転で帰路についた。

 ――小さいとか貧乳とかならまだしも、無いとまで言いますか、無いとまで。どうせ私は無乳ですよ!



 それから三日ほどが経っただろうか。時雨は紗々の失礼極まりない発言を忘れるように努め、殺し屋としての仕事が入らぬ間、医師としての仕事に集中していた。

 午前中の診察が終わり、食堂で天ぷら蕎麦を一人で啜っていた時雨の前に、一人の男が立った。

「よ、藍澤先生。向かい良いか?」

 黒髪をオールバックにした中肉中背の彼は笹原裕司。時雨の同僚だ。年も近いことから気の置けない友人でもある。

「構いませんよ、どうぞ」

 時雨が笑ってそう言うと、笹原はカレーうどんをテーブルに置き、椅子に腰を下ろした。

「お前さ、なんか最近嫌なことあったのか? ピリピリしてるぞ」

「おや、バレましたか」

 こういうことには鋭い男だ、と時雨は思った。医師としての腕は中の上ぐらいだというのに。

「何かあったなら話せよ」

「ええ、実は……」

 時雨は真面目な顔をして笹原を見つめた。

「うん?」

「貴方がいつも白衣でカレーうどんを食べるのが気になって」

「って、おい」

 ガクリと肩の力を抜かす笹原に、時雨は笑いかける。

「冗談ですよ。本当の所を言いますと、自分に女としての魅力が無いのではないかと悩んでいたんです」

「そりゃあ深刻な悩みだな。でも何でまた」

「ある人から、胸が無いと言われましてね」

「小さいとかじゃなくて無いかよ。なかなかきついな。男に言われたのか?」

「いえ、女性です。これくらい胸の大きな」

 時雨は紗々のバストの大きさを手で表現した。

「マジか、それ三桁いくんじゃねえの。紹介してくれよ」

「多分もう会うことはないと思いますよ。というか、貴方も所詮巨乳が好きなんですね」

 時雨はじっとりとした目で笹原を睨み付けた。

「睨むな睨むな。俺は女の胸なら何だって好きだぜ。巨乳はロマン、並乳はシンプルイズザベスト、貧乳はステータス、無乳はドリーム」

「わけが分かりません」

「ま、気を落とすなってこった」

 笹原が笑った時、ドラマの再放送を映していたテレビからニュース速報を告げる音が鳴った。

「おや、何でしょう」

 二人はテレビの方を見る。テーブル二つ分の距離にあるテロップは何とか読むことができた。

「女子高生の遺体発見、ですか……」

 そういえば、昨夜のニュースで女子高生が行方不明だと言っていた。損傷の激しい遺体は彼女らしい。

「遺体で見付かるとは、最悪のパターンだな。まだ若いのに可哀そうなこった」

 笹原はそう言うと溜め息をついた。

「しかし、行方不明になったのが昨日だというのに損傷が激しいということは、腐敗ではないのでしょうね。猟奇殺人というやつでしょうか」

「また『現代の切り裂きジャック』かもな」

「ああ」

 ここ一ヶ月の間に晴空市内で、二人の女が同様の手口――ナイフで喉を切り裂かれた後、滅多刺しにされたというものだ――で殺されている。

 二人の被害者に接点はないもののどちらも売春行為をしていたそうで、マスコミは現代の切り裂きジャックだなどと騒いでいる。

「だとしたら、三人目の被害者というわけですか」

「そうなるかもな。一人目がOL、二人目が女子大生だっけ」

「ええ、確か」

「殺されたってのに売春してたせいで同情されねえんだもんなあ。死体蹴りというか何と言うか」

 笹原の言う通りだ。被害者たちはマスコミに私生活を暴かれ、まるで加害者のように叩かれている。ネットでは犯人を賞賛する声もあると言うから世も末だ。

「そりゃあ売春は悪いことだけどさ、死んだらみんな仏様だぜ」

「そうですね、犯人を賛美する世の中も少々歪んでます」

 殺し屋の時雨が偉そうなことを言えた義理ではないが、どうも気分の良い事件――というより世論――であった。

「ま、この問題はこんな所で医者二人が話してても仕方ねえか。医者は医者、そろそろ仕事に戻るとするか」

 笹原はそう言うと、空になったカレーうどんの器を手にして立ち上がった。

 時雨はそんな笹原の姿をまじまじと見つめる。

「何だ、何か付いてるか?」

「いえ、どうしてカレーうどんを食べても白衣に染み一つ付かないのかと思って」

 笹原は毎日カレーうどんを食べているが、白衣にその染みを付けたところを一度も見たことがない。

「数少ない俺の特技だよ」

 得意気に笑う笹原。

「無駄なスキルですね。他にポイント振り分けられなかったんですか?」

 髪も残酷なことをするものである。



 それから何時間か経って、午後の外来患者は後少しだ。時雨は看護師が置いていったカルテに手を伸ばした。

「よろしくお願いしまーす、先生」

 物凄く聞き覚えのあるその声に、時雨はカルテを取り落とした。

「どーも、時雨さん」

 にっこりと微笑んだ紗々が、パイプ椅子に座る。

「どうして、貴女が……」

「医者ならここに来た方が確実だと思ってね」

「勤め先まで教えた覚えはありませんが」

「友人が探偵でね」

 事も無げに言うが、裏社会の仲介屋に探偵を友人に持つ心理学者など胡散臭いことこの上ない。

 ――しかし、ここで動揺してはまたこの人のペースに乗せられてしまいますね。

 時雨は咳払いを一つすると、医師として淡々と接することにした。

「カルテによると、動悸とふらつきがするそうですね。熱は測りましたか?」

「そうだね、君にお熱かも」

 紗々は笑顔で時雨の努力を打ち砕く。

「熱なら内科に行ってください」

 看護師がいないのは幸いだったと言えるだろう。時雨の顔は思い切り引き攣っていた。

「君に診てほしいんだ」

 時雨は舌打ちをしそうになったのを辛うじて堪えた。

「では、それはいつ頃からですか」

 苛立ちで声を震わせつつ、時雨はなんとか医師であろうとする。

「初めて見た時から好みだと思ってたんだけど、決定的なのはメスを突き付けられた時かな。殺気がビンビン伝わってきてドキドキしちゃったよ」

 紗々はどこまで本気か分からないオーバーな口調で答えた。

 時雨の手元で、ボールペンが音を立てて折れた。

「分かりました、精神科を紹介します」

 時雨はペン立てから新しいボールペンを取り出し、紹介状を書き始めた。

「あれ、恋の病ですとか言わないの?」

「こちらの血圧が上がりそうなので、黙っていてもらえませんか」

 こめかみに青筋が浮かぶのを感じながら、時雨はできる限り冷静に対応する。

「改めて、君を貰いに来た」

 だが、紗々は追い打ちをかけた。

 二本目のボールペンをへし折った時雨は書きかけた紹介状を握り潰し、溜め息をついた。

「貴女は、同性愛者なのですか……?」

 それならば、これはデリケートな問題だ。時雨は差別や偏見といったものを好んではいない。

「いや、別に」

 しかし、紗々はあっさりと否定する。

「友人曰く節操無しみたいだね。男も好きだよ、私は」

 どうやらただの変人らしい。

「では、ビジネスの話をしたいのですよね。そこにユーモアを交えようとして……」

「うん、ビジネスというか研究の話かな」

「ですよねー」

 ほっと息をついた時雨だったが、紗々は「ははは」と爽やかに笑い、両手を広げた。

「でも、できれば性的な意味でも君が欲しい」

 ベタな喜劇のように、時雨は椅子から転げ落ちた。

「あらら、大丈夫?」

 差し伸べられた手を時雨は払いのける。

「せ、性的な、とは……」

 色事には疎いため顔が真っ赤になっている時雨に、紗々はニヤニヤとした笑みを浮かべ――どうも笑顔のレパートリーの広い人間だ――手を触れた。

「だから好みだって言ったじゃないか、長い黒髪……」

 艶やかな髪に……。

「綺麗な顔……」

 滑らかな頬に。

「平たい胸に、細い腰」

 紗々の長い指が時雨のネクタイをするりと解き、ワイシャツのボタンを外していく。

「殺しますよ……」

 時雨の怒りは頂点に達し、その手を力強く掴んだ。

「その殺気もいいんだよなー、ほんと可愛いよ」

 だが時雨が発する殺気など何のその、紗々はへらへらと笑って言葉を続ける。

「何度でも言うよ、君が欲しい、あらゆる意味でね」

「いい加減に……」

 手に力を込めた時雨を、紗々はガラッと変わった冷ややかな眼差しで見下ろした。

「知ってるよ、君の過去」

 馬鹿な、と言いかけた時雨を遮り、紗々は言葉を紡ぐ。

「叢雲病院は、君の以前の勤め先だね?」

 叢雲病院――その名に時雨はピクリと反応する。

「三年前、そこである患者が薬物を注射されて死亡する事件があった。ちなみに、解決はされてない」

 内容の重さとは裏腹に、その口調は軽い。

「それが、どうしたと言うんです……」

 時雨は震える声と共に紗々を睨み付ける。

「ふふ、いいね、その目。いやあ、その事件の直後に君が叢雲病院を辞めたのは、果たして偶然なのかと思ってさ」

「は……」

 喉をひゅう、と酸素が通り過ぎていく。

「何が、目的なんですか?」

 諦めた時雨は、紗々の腕から手を離した。

「何度も言ってるじゃないか。君が欲しいって」

「風俗に行く金で手を打ちませんか?」

 時雨は引き攣った顔で初めて冗談を言った。

「商売女に興味はない」

 紗々は時雨に馬乗りになると、彼女のワイシャツのボタンを全て外してしまった。

「君が良いんだ」

「つ……」

 求められているという優越感、それに高揚感、そんなもので一瞬ときめいてしまった自分を嫌悪する時雨。

「私の、どこが良いんですか……」

 その上、まるで男の愛を疑うような言葉を吐いてしまったことを後悔する。

「だから、見た目。それと……」

 紗々は先程までの艶めかしさが嘘のように真面目な顔をした。

「君の良いところは見た目だけじゃない。殺気と、プロ意識」

 椅子に座り、足を組んで時雨を見下ろす紗々。

「君なら弱味を握られても私を殺すことができたはずだ。それなのにターゲット以外を殺さない辺り、プロの殺し屋だなあと思ってね。私が欲しいのはそういう人間だから」

「でも、殺すのが目的ではないのでしょう……?」

 時雨は息を乱し、服も直さず問いかける。

「うん、ただ戦って欲しい。殺人鬼と」

「殺人鬼?」

 普通に生きていれば滅多に使わないであろう単語を復唱する。

「そう、例えば彼」

 紗々はバッグから一枚の写真を取り出した。写っているのは、髪を七三分けにした真面目そうな男だ。

「彼の名前は木戸啓一、現代の切り裂きジャックだよ」

 時雨は笹原との会話を思い出す。

「しかし、あの事件は警察の操作も難航しているはずでは……」

 紗々は自らの頭を指して笑った。

「優秀な探偵が情報を集めてさえくれれば、私の頭でも犯人なんて割り出せる」

 警察以上の捜査力を有する探偵と、高い分析力を誇る心理学者のタッグというわけか。

 ――それは、私の過去を探るのも簡単だったでしょうね……。

 時雨は一応納得したものの、腑に落ちないことがあった。

「何故、警察に突き出さないのです?」

 紗々は「はっ」と小馬鹿にしたように笑う。

「せっかくの研究対象を警察にプレゼントしてどうするのさ。私はそんなに善人じゃあない」

「はあ……」

「とはいえ、終わったらちゃんと警察に引き渡すよ。私は悪人でもないからね」

 殺し屋を脅す人間のどこが悪人ではないのか、と口にしかけた言葉を時雨は飲み込んだ。

「君は殺人鬼と戦ってくれればいい。私の目の前で」

 紗々はそう言うと、写真と共に茶封筒を渡した。

「木戸の情報と私の連絡先が入ってるから目を通しておいてよ。準備ができたら連絡してね」

 時雨は仕方なく頷いた。

「じゃあ、またね。――あ、そうだ」

 診察室を後にしようとした紗々は、思い出したように振り向いた。

「いつまでもそんな格好してたら、次の患者さんに襲われちゃうよ?」

 時雨は自らの格好を思い出し、慌ててワイシャツのボタンを留めた。



 自宅であるマンションに帰宅した時雨は、簡単な夕食を摂った後紗々から渡された資料をソファで読むことにした。

 時雨のマンションは二十階建てで、その1505号室のベランダからは晴空市が一望でき、海も見える。

 いつもならそんな景色を見ながら晩酌などを楽しむのだが、生憎今日はそんな気分ではない。

 ターゲット――殺すわけではないので語弊があるかもしれない――は木戸啓一、25歳。市内にある中小企業の社員らしい。

「25歳には見えませんね」

 写真を見ながら時雨はぽつりと呟く。

 真面目そうな顔立ちとぴっちり分けられた髪型のせいか、三十歳と言われても違和感がない。

 彼は母子家庭で育ち、高校を卒業をした後就職、二か月前に母親を病気で亡くしたとのことだ。

 三件とも使われたのは切れ味の良いナイフ。どの被害者も喉を切り裂かれた後、執拗に切り刻まれていた。

「警察の方も大変だったでしょうね」

 惨殺体をみることになったのだ。警察はまだしも、第一発見者には同情を禁じえない。

 書かれているのは木戸のプロフィール、経歴、殺害方法、生活習慣などで、上手くまとめられており把握しやすかった。

 だがその分、時雨に必要なのはそれだけだと言われているような気がした。

「その研究とやらについて、もう少し書いてくれてもいいのでは?」

 どれほど甘い言葉を弄したところで、紗々が自分を道具としてしか見ていないのだと思い知らされる。

「癪に障る方ですね、本当に」

 時雨はふと思い付いてノートパソコンをローテーブルに置き、ソファに腰を下ろした。

 ちょっとした意趣返しのつもりで、紗々について調べてみることにしたのだ。

 もし心理学者として実績のある人間であれば、何か出てくるはずだ。何も出てこなければ、そのことで嫌味の一つでも言ってやろう。

「絆紗々、心理学、と……」

 検索ワードを打ち込み、エンターキーを押す。すると検索結果のトップに出てきたのは、市内にある晴空大学のホームページだった。

「晴大ですか」

 そこは時雨の出身大学でもあり、偏差値もそれなりに高い。

 クリックすると、表示されたのは講師一覧のページ。その中に絆紗々の名前は確かにあった。

「専門は犯罪心理学……、現在休職中?」

 書かれている情報はその程度だったが、時雨は首を傾げた。

「体調不良には見えませんでしたし……」

 何故、休職しているのだろう。

 そこで時雨は我に返った。

 ――あの人の術中にはまってますね……。

 そう、あんな人間のことなど気にしないのが一番なのだ。

 あくまで雇い主と殺し屋の関係を貫き通すなら、無関心でいることが大切。それをわざわざ調べてしまった自分に嫌気が差す。

 このことを知れば、きっと紗々はこう言うだろう。

 ――そんなに私のことを知りたいとはね、嬉しいよ。

 それをどんな表情で口にするか易々と想像できてしまい、時雨は溜め息をついた。

「仕事に、集中しましょう……」

 時雨はパソコンの電源を切ると、もう一度木戸の情報に目を通すことにした。



「連絡ありがとう」

 二日後の夜、紗々はにっこりと笑い時雨に向かって手を上げた。

「仕事ですから、当然です」

 二人が今いるのは住宅地から離れた空き地だった。

 ここは木戸が会社帰りに通る道に面している。丁度良いと言えるだろう。

「貴女はただ、見ているだけなのですね?」

 念の為に確認しておく。もし予想外の動きをされ、人質にでも取られたら厄介だからだ。

「うん、観察させてもらうつもり」

「そうですか」

 本当に、何が目的なのかと内心で首をひねる。

 しかし、好奇心は猫をも殺すと言う。余計なことに首を突っ込むものではない。

 そう自分に言い聞かせ、時雨は息をつく。

 集中しなければいけない。殺さずに倒すとなると、致命傷にならない程度に重傷を負わせるか、戦意を喪失させるか……。

「来た」

 紗々が小さな声で告げる。

 写真で見た男が、夜道を歩いてくる。

 時雨はすぐさま木戸の前に立ち塞がった。

「何だ、君は」

 木戸は訝しげに問いかける。

「現代の切り裂きジャックですね?」

 質問に質問で返すと、木戸の顔が忌々しそうに歪んだ。

 その反応は、イエスに等しい。

「私は、殺し屋ですよ」

 時雨がやっと問いに答えると、木戸は歪んだ顔で笑った。

「君が誰であろうと、知られたからには殺さなければいけないな」

 まるで手品のように、木戸の右手にナイフが握られていた。

 時雨も白衣の裏から数本のメスを取り出す。

 月の光で、互いの得物が光った。

 それを見つめる紗々の目もキラリと光る。巻き込まれないように、しかし二人の戦いがよく見えるように、空き地の隅に立っていた。

 木戸はそんな紗々にちらりと目をやった。

「彼女は?」

「ただの野次馬です。無視してくださって結構」

「じゃあ、君を殺した後に始末する」

 木戸は一気に時雨との距離を詰め、ナイフを突き出した。

 時雨はメスでそれを弾く。

 一瞬の隙ができた木戸の頬を、時雨の手元から飛んだメスが掠めた。

 木戸は「ちっ」と舌打ちをすると、一歩退く。

「確かに強い」

 時雨はぽつりと呟いた。

 先手を取らせるつもりはなかったし、投げたメスも深手を負わせるつもりのものだった。

 木戸はもう一度時雨に向かって踏み込む。

 速い動き、ナイフ捌きも慣れている。

「しかし所詮、貴方はアマチュアなんですよ!」

 時雨は木戸のナイフを右に避けると、両手に四本ずつ握ったメスを一斉に放った。

「くっ!」

 木戸はとっさに目を瞑り、腕で顔を庇う。

 その腕と膝を、メスが切り裂いていった。

「貴方の殺気は、恐れるに足りません」

 時雨はそう言うと、木戸の胸にメスを突き付けた。

 ほんの一瞬、木戸の目に怯えの色が宿った。



 木戸は生まれてこの方、父親に会ったことがない。

 母は女手一つで木戸を育てた。――そう言えば聞こえはいいが、ただ放っていただけだった。

 木戸は必要とされ、愛されて生まれたわけではない。売春婦だった母は客の子供を身籠り、中絶する金が無いから木戸を産んだのだ。

 そう本人から告げられたのは、物心がついてすぐのことだった。

 母の愛情などという物は無い。無関心、それが全てだった。

 狭いアパートの一室に男を連れ込む母が嫌で、木戸は子供の時から夜になると散歩をしていた、

 そんな散歩中に、偶然拾ったナイフ。

 その時、母を殺すという気持ちが生まれた。

 しかしまだ殺意という程には育っておらず、ただナイフを所持するだけで満足していた。

 そのまま木戸は成長していく。

 もやもやとした気持ちが恐ろしく、木戸は高校を卒業すると共に家を出た。

 それから数年の時が経ち、母のことなど忘れかけていたある日のことだった。

「金を貸してちょうだいよ」

 訪れたのはやつれた母だった。

 何でも男に病気を伝染されたが、病院に行く金がないらしい。

「帰れ、死んでしまえ」

 木戸はそう言って母を追い返した。

 それから数か月後、母が死んだことを知った。

 木戸は後悔した。

 何故自分の手で母を殺しておかなかったのか、と。

 行き場のない殺気は暴走し、悪霊のように木戸に憑いた。

 そして生まれたのだ。母の面影を求め、売春婦ばかりを切り裂く殺人鬼が。



「何が、アマチュアだ……」

 木戸の声が震える。

「僕には理由がある! お前らみたいに金で人を殺すような俗物とは違うんだよ!」

 叫び、一歩退がってナイフを握り直す。

 しかし、時雨の動きの方が速かった。

 放られたメスがナイフを持つ手に刺さり、凶器を取り落とさせる。

 そして一陣の風のように木戸の眼前に踏み込み、メスを首筋に突き付けた。

「プロの殺気を舐めないことです」

 時雨の瞳に闇が宿る。それは底無し沼のような殺気。

「う、あ……」

 木戸の動きがピタリと止まる。時雨の殺気が蛇となり、彼に巻き付いたかのように。

「くそ……」

 時雨がメスを仕舞っても、木戸は動けずにいた。

 彼は時雨の殺気に圧倒され、殺意を削がれたのだ。

 ナイフを拾うこともできずに、木戸はその場に座り込んだ。

「終わりですね、これで」

 時雨はこちらに歩いてくる紗々に向けて言った。

「うん、彼は君の圧倒的な殺気を前にして萎縮し、飲み込まれてしまった。もう、木戸に人は殺せない」

 紗々はそう言うとスマートフォンを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。

「ああ、うん、終わったよ。警察に連絡しといて」

 それだけ通話口に告げると、紗々は時雨を見た。

「分かってるじゃないか、君。殺人鬼の倒し方」

「はあ?」

「殺人鬼は強い。肥大した殺意に飲まれ、人間を辞めた鬼だからね」

 ――人を殺す鬼、殺人鬼……。

 紗々は魂でも抜けたように座り込んでいる木戸を見下ろした。

「彼らを人間に戻すにはどうすればいいか。――その殺意を削いでしまえばいいんだ。大きく、絶対的な殺気でね」

「その殺気を持つのが、プロの殺し屋というわけですか?」

 時雨の問いに、紗々は頷く。

「殺気は殺意の表現。どれほどの殺意を内に持とうと、アマチュアがプロの放つ殺気に勝てるわけがない。君みたいに研ぎ澄まされた、絶対的な殺気を持つ殺し屋の前では、屈服するしかないんだよ」

「それが、貴女の研究ですか」

「うん、殺人鬼を人間に戻す研究。出だしはバッチリみたい」

 紗々の笑顔はこの状況には似合わぬ爽やかなものだった。

「じゃあまたね。これからもよろしく」

 そして軽く右手を上げ、去っていった。

「これからも、とは……?」

 聞き返すのも嫌になり、少し考えた後時雨はスマートフォンで呉羽に電話をかけた。

 数回のコールの後、「もしもし」と呉羽の気怠げな声がする。

「呉羽さん、貴方、私を売りましたね?」

 時雨は怒りを隠さず問いかけた。それこそ、殺気立った声で。

「お、おう。すまねえな。断り切れなかったんだよ」

 呉羽の声が焦りを帯びる。

「いくらですか?」

「ご、5500万……」

「五百万上乗せされたわけですね」

「悪い、これからはあいつから仕事を受けてくれ」

「私の取り分は何割ですか?」

「いつもどおり七三で」

「3850万ですか」

 即座に計算し、時雨は唇を噛む。

「人生を売るには、安過ぎる金額ですね」

 そう言って、一方的に電話を切った。

「まったく……」

 時雨が溜め息をついた頃、パトカーのサイレンが響き始めた。



 今日こそ夜景を眺めながら晩酌でもしよう、そう考えながら、時雨は自宅のドアノブを握る。

「おや?」

 鍵を閉めてきたはずなのに、ドアはカチャリと音を立てて開いた。

 時雨は右手にメスを握り、恐る恐る中に入った。

「やあ、お帰りなさい」

 締りの無い顔をした紗々が出迎える。

「はい……?」

「いや、お帰りって」

「ここは、1505室ですよね?」

「うん、そうだよ」

 時雨は頭を振った。夢なら覚めろと言わんばかりに。

「どういう、ことですか……」

「ああ、上乗せした五百万は家賃代わりだから」

「なっ! 冗談じゃ……」

「プロならお金が支払われてる以上、契約は守るべきじゃない?」

 紗々はそう言って、つんと時雨の胸を突いた。

「ああ、もう!」

 時雨はらしくない荒い声を上げ、運命を受け入れることにした。
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テーマ:オリジナル小説 - ジャンル:小説・文学

  1. 2015/01/25(日) 22:27:36|
  2. 没小説
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