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小説『コロシヤンラプソディー1』

 全年齢対象小説、コロシヤンラプソディー一話目です。
 無気力な殺し屋、太刀風が覚醒する話。
 キャラ設定などは『コロシヤンシリーズのキャラ設定1』をご覧ください。
 1/7、紗々の服装描写をジーパンからミニスカートに変更しました。


『コロシヤンラプソディー1』

 太刀風征司は日本刀を手に男と対峙していた。

「な、何なんだ、お前は!」

 男は中小企業の社長だ。先日経営不振のため社員を三分の一リストラしたばかりだった。

「殺し屋だ。頼まれたんだよ、あんたを殺すように」

 太刀風を雇ったのはリストラされた社員たちだった。彼らが働いていたビルの社長室で今、社長の命の火は消えようとしている。

「私はまだ死にたくない! 家族がいるんだ、息子はまだ中学生で……」

「知らねえよ、こっちも仕事なんでな」

 太刀風が日本刀を振るうと、社長の胸から夥しい量の血が噴き出した。その量から絶命するのは確実だった。

「やれやれ」

 太刀風は刀を鞘に収めるとゴルフバッグにしまった。そして替えのTシャツにジーパン、ジャケットを取り出し返り血のついた服を素早く着替える。

 金色の短髪が、窓から差し込む月の光に照らされ輝いた。

 気怠げな瞳で死体を一瞥すると、太刀風は社長室を後にした。

 警備員が休憩する時間も監視カメラの死角もちゃんと調べてある。誰からも見られぬよう非常階段を下り、五階建てのビルから出た。

 太刀風は27歳、かれこれ十年近くこの業界に身を置いている殺し屋だ。

 殺した数は覚えていない。その数字を自慢の種にする気はなかった。

 殺すという行為はただの仕事で、繰り返される日常の一部に過ぎない。

 食べて、殺して、寝て……。生活の一部と思えば何の感慨も湧かないし、ましてや罪悪感などあろうはずもない。

 そんなふうに思える辺り、自分はこの仕事に向いているのかもしれない、などと思った。

 感情の全てが麻痺していた。心に靄がかかったような、くすんだ毎日。

 食べて、殺して、寝て、起きるとまた食べて、殺して……。

 そんな日々に不満を抱くこともなく、ただ生きている。

 生きている、だけだ。

 大事なものがあったはずなのだが、灰色の日常に埋もれてしまって思い出せない。

 だが、思い出せなくて困ることもなかったため構いはしなかった。

 ――誰だって、そうなんじゃねえかな。

 課せられた仕事をこなして、生きるためにこなして、何のために生きているかなど考える時間はない。

 それはごく普通のことなのだと、すれ違う会社帰りのサラリーマンの群れを見て思う。

 彼らのスーツの色と同じ、灰色の日常。

 ただ仕事の内容がちがうだけで、根本は皆同じだ。

「よう、太刀風」

 肩を叩かれて振り向くと、金色の髪をショートポニーにし、オフショルダーのセーターとショートパンツという格好の少女がいた。

「奇遇じゃねえか。これはもうあれだ、戦うしかねえよな」

 男のような口調でまくし立てる藤村七瀬は同業者だ。確かこの間成人したはずだが、体型も相まって少女としか形容できない。

 いつも何かに向かってキラキラと光っている彼女の瞳に眩しさを感じた。

「俺は仕事帰りで疲れてんだよ。また今度な」

 太刀風は七瀬の頭をぽんぽんと撫でた。

「びびってんのかよ。俺に負けるのが怖いのか?」

 太刀風の目の前に金属の爪が突きつけられる。七瀬が愛用しているバグナウだ。

「馬鹿か、お前は」

 中年の男が後ろから七瀬の頭を叩く。

 五十歳ぐらいの男は七瀬の師匠のような存在だ。昔は有名な殺し屋として名を馳せていたらしく、沢本俊という名前は今でも裏社会では耳にすることがある。オールバックにした白髪混じりの黒髪と、しわの寄ったワイシャツに緩めたネクタイという格好からはだらしないサラリーマンとしか思えないが。

「いてーな、何すんだよ!」

「どこの世界に繁華街で得物見せる殺し屋がいるんだ」

「う……」

 七瀬はぐっと言葉に詰まる。

 どうせ周りの人間たちは彼女を気にも留めていない。しかし殺し屋として軽率なことに変わりはなかった。

「だからお前はいつまで経っても半人前なんだよ。とっとと俺を超えてみろ、ガキ」

「うっせーし」

「俺は帰っていいっすか、沢本さん」

 傍から見れば親子のような師弟に太刀風は言葉を投げかけた。

「おう、引き止めて悪かったな」

「今度会ったら勝負しろよ、ぜってー勝つから」

「あー、分かった分かった」

 太刀風は二人に背を向けてひらひらと手を振った。

 ――何であいつはあんなに元気なんだ?

 バグナウで獣のような爪痕を残していく殺し屋、七瀬。まだまだ発展途上な彼女は、一度仕事で絡んでから会うたびに勝負を挑んでくる。仕事以外に労力をかける気のない太刀風としては、あしらうのが面倒な相手だった。

 とはいえ七歳違いの彼女は妹――言動からすると弟の方が近いかもしれない――のようで、微笑ましさも感じる。

 しかし、そんな感情はすぐに灰色の日常に塗り潰されるのだった。

 ――とりあえず帰ったら飯食って風呂入って寝て。明日金取りに行くか。

 太刀風はサラリーマンの群れに混じり、自宅であるアパートを目指した。



 時々、夢を見ることがある。

 太刀風の眠りは基本的に深く、気付いたら朝ということがほとんどだ。

 だが、月に一回程度の周期でその夢を見る。

 血溜まりに倒れている男がこちらを見ていて、問いかけてくるのだ。

 ――俺のこと、忘れたのか?

 そう訊かれても男の顔はぼやけていて、誰なのか分からない。

 ――なあ、思い出せよ。何のためにこの仕事をしてるのか。

 記憶を探ろうとするが、胸が苦しくなる。呼吸が荒くなる。

 ――逃げるなよ、太刀風。逃げるんじゃねえぞ。

 そこでいつも、目が覚めるのだ。

 布団から起き上がった太刀風は頭を掻いた。

「だから、何だってんだよ……」

 あの夢を見ると、いつも鼓動が高鳴る。灰色の日常の奥底から何かが叫び声を上げる。――思い出せ、お前は何のために生きているのか、と。

「何を、思い出せってんだ」

 今の何も感じないくすんだ日々に、太刀風は満足していた。

 食べて、殺して、寝て――そんな生活に、日常に、流されていたかった。

 起伏のない人生、穏やかな感情。それを翳らせるようにあの夢を見る。

 ――生きるのに何のためもクソもねえよ。生きてるから生きてる、それだけじゃねえか。

 そう言い聞かせながら、太刀風はTシャツの胸の辺りを掴んだ。くしゃりとしわの寄るシャツ。

「そうだ、金取りに行かねえと」

 太刀風は呟き、洗面所に向かった。



 訪れたのは十階建てのごく普通のマンションだ。築二十年ほどの壁は薄汚れている。

 エレベーターに乗り、七階のボタンを押すとゆっくり扉が閉まった。

 太刀風は目的の階で降りると、廊下をまっすぐに進んだ。L字型になった廊下の角にある705号室、用があるのはその部屋だ。

 加藤という表札のかかった部屋のベルを押すと、数秒で「誰だ」という短い返事があった。

「太刀風だ。金取りに来た」

「ああ、開いてるから入れ」

 そう言われてドアを開ける。短い廊下を抜けリビングに入ると、黒髪にサングラス、そしてダークスーツをだらしなく着崩した四十代の男がいた。


「よう、今回もうまくやったみてえだな」

 事務所のような簡素な部屋でパソコンのキーを叩いているその男は加藤圭、仲介屋だ。

「ああ、いつも通りだ」

 太刀風はそう言ってデスクと直角になるよう置いてあるソファに腰を下ろした。

「報酬だ」

 加藤が投げた封筒をキャッチした太刀風は中を確かめる。三十枚の一万円札が入っていた。

 太刀風の取り分である三十万と加藤の懐に入る五十万、それがあの社長の命の値段だった。

 加藤とはこの仕事を始めた時からの付き合いだった。太刀風にこの業界のイロハを教えてくれたのも彼だ。

「最近調子は?」

 加藤はパソコンに向かったまま、興味なさげに問いかける。

「特に変わりはねえな。あんたは?」

「同じだ。この年になるとそうそう変化なんてねえよ」

「だよな」

 それは太刀風の年齢でも同じだ。人生のターニングポイントがそうそう転がっているわけがない。

「そういや、払いのいい仕事が入ってるんだが」

「いくらだ?」

 加藤は左手の指を全て立てる。

「俺に五十万入んのか」

「いや、五百だ」

「ご、五百万?」

 いつもの仕事では、太刀風には三十万から五十万しか入ってこない。桁の違いに目を丸くした。

「どこの要人暗殺だよ」

「そんなんじゃねえよ。相手は同業者、殺し屋だ。報酬のことで揉めたとかでな。――菱田タクミってやつ知ってるか?」

「菱田、タクミ……」

 その名前を太刀風は頭の中で反芻する。

「聞いたことはあるような」

「お前と同じ、刀を使うやつだからな」

「ああ、なるほど」

 道理で知っているはずだ。同じ得物を使う以上、業界内で比較されることになる。どこかで聞いていてもおかしくはない。

「殺し屋が相手とはいえ、五百万かよ。すげえな」

「そりゃあ一般人殺すのとはわけが違うだろ。相手もプロだ、一筋縄ではいかねえよ。で、引き受けるか? 嫌ならほかのやつに回すぜ」

「引き受けるに決まってんだろ」

「本当にきつい仕事だぞ? 一つ間違えればこっちがやられちまう」

「そん時はそん時だ」

 命を落とすことにそれほどの恐怖はなかった。灰色の日常はそこまで惜しいものではない。

「じゃあお前に頼む。菱田の情報はいつも通り人留に頼んでるんだが……。ああ、丁度メールが来た」

 加藤はリズミカルにキーを叩いた。

「情報集まったから取りに来てくれってよ。ついでだ、行ってきてくれ、手間も省ける。金は先払いしてっから」

「ああ、分かった」

 太刀風はゴルフバッグに三十万の入った封筒を入れると立ち上がった。

「うまくいくよう祈ってるぜ」

「そりゃどうも」

 背を向けて片手を上げ、太刀風は加藤の部屋を後にした。



 深夜、酔っ払いのサラリーマンを木刀で殴り財布を奪う少年がいた。

 ――あの学ランに金髪、高校時代の俺だ。

 空からその光景を見ていた太刀風は思った。

「三万かよ、しけてんな」

 少年は舌打ちをし、財布を尻ポケットにねじ込もうとする。

 だが、その手を後ろから掴む男がいた。

 茶色の髪をだらしなく伸ばしたジャージ姿の男だった。顔はぼやけている。

「何だよ、てめえ!」

 少年は手を払いのけ、木刀を両手で握り直す。

 男はそれを掴むとひねり、取り上げた。

「お前さ、太刀筋はいいんだよ。素質はあるんだ素質は。でも基本がなってねえ」

 どこかからかうような、軽い口調。

「は? 何言ってんだよ」

「鍛えてやるから、ついてこいよ」

「だから、お前は何なんだ!」

 男は木刀で自分の肩をとんとんと叩く。

「そこで剣道道場を開いてる、――ってもんだ」

 太刀風は彼の名前を聞き取ることができなかった。

「弟子入りを認めてやるんだからありがたく思え。あ、財布は返しとけよ」

 そう言って、男はついてこいというように歩き出した。

「弟子とか勝手に決めんなよ! つか木刀返せ!」

 少年は一瞬迷ってから、倒れている酔っぱらいに財布を投げると男の後を追いかけた。

 ――ああ、嬉しかったんだな、素質があるとか言われて。

 太刀風は笑った。

 ――親父とお袋が死んでから、俺のことを褒めてくれるやつなんていなかったもんな……。

 そして、頭を抱える。

 ――なあ、俺のことを褒めてくれたあんたは、一体誰なんだ?



 はっと目を覚ますと、丁度降りるべき駅の名がアナウンスされていた。

「あぶね、乗り過ごすところだった」

 電車は速度を落とし、停車する。太刀風は慌てて立ち上がり降車した。

 人留探偵事務所までは駅から五分程だ。人通りの多いオフィス街にある五階建てのビル、その三階にある。

 ビルに入ると、丁度エレベーターは昇り始めたところだったので階段を使う。

 テナントは一フロアに一軒。三階にあるのは居住スペースも兼ねている人留探偵事務所だけだった。

 事務所名が曇りガラスに書かれたドアを開けると、向かい合う位置に配置されたデスクで書類整理をしていた男が顔を上げた。

「ども、人留さん」

「ああ、太刀風か」

 人留献也は大柄な三十路の男だ。190センチはある長身に筋肉質な体付きは熊のようで、茶色の髪を後ろでまとめ無精髭をたくわえている。

 探偵の彼は裏社会の情報屋としても活躍していた。

「書類取りに来たんっすけど」

「ああ、菱田の情報だな」

 人留はデスクの引き出しから大判の封筒を取り出した。

「これだ」

「あざっす」

 ただ受け取って帰るのも気が引け、太刀風は世間話でもすることにした。

「紗々さんとはどうなんっすか?」

「どうって、何を聞きたいんだ」

 人留の頬がかっと赤くなる。

 絆紗々という女と人留は同棲していた。

「ちょっとした下世話な好奇心っすよ」

「ただいまー」

 太刀風が言った瞬間、背後でドアが開いた。話の種である紗々が帰ってきたのだ。

「ああ、太刀風君。久しぶりだね、調子はどう?」

 ショートカットの黒髪と涼しげな瞳からはどこか中性的な雰囲気を感じさせる彼女だが、ハイネックのセーターに包まれた豊満なバストと、ミニスカートとストッキングで目立つ大きな尻は女らしい色香を漂わせている。人留と同じ年のはずだが、少し若く見えた。

「変わりないっすよ。紗々さんは仕事だったんっすか?」

「うん、済ましてきたとこ」

 紗々はそう言うとソファに座った。

 彼女は表向き心理学者という肩書きだが、実は殺し屋だ。しかし太刀風や七瀬と違って直接手を下すわけではない。言葉巧みに相手を自殺に追い込む、自殺させ屋とでも言うべき女である。

「人留君、また次の仕事入ったから身辺調査お願いしていいかな?」

「ああ、分かった」

 人留に標的のことを調べさせ、その情報からどこを突けば相手が崩れるかを分析する紗々。そういう意味で、二人はビジネスパートナーでもあった。

「景気いいんっすね」

「君の方はどうなの?」

「まあ、ぼちぼち」

「ふふ、仕事は楽しんだもの勝ちだよ。楽しんでこその人生なんだから」

 紗々はそう言ってにやりと笑った。

 ――楽しめって言われてもなあ。

 快楽殺人鬼ではない太刀風としては、この仕事を楽しむという感覚はない。

「紗々さんは楽しいんっすか、この仕事」

「楽しいよ。ああ、生きてるって思える」

 紗々の感覚はいまいち理解できなかった。

「私たちは人の死を糧に生きてるんだからさ、人一倍生きてるって実感してなきゃね」

「生きてるって実感、ねえ……」

 太刀風はその言葉を繰り返すと肩をすくめた。

「そろそろ行きますね。ありがとうございました」

 人留の方を向き、書類を持った右手を上げる。

「またな」

「仕事頑張ってね」

 人留と紗々に見送られて事務所を後にした太刀風は、やれやれと頭を掻いた。

 ――楽しんだ者勝ちって言われてもなあ……。

 太刀風にとって殺しはただの作業でしかない。感情も感傷も伴わず、ただ遂行するだけだ。

「帰ったら菱田の行動パターンを見て、どこでやるか考えるか」

 昼休みなのだろう、グレーのスーツを着たサラリーマンたちとすれ違う。

 ――なあ、あんたらはその仕事、楽しいか?



 アパートに帰ってきた太刀風は封筒から書類を取り出した。数枚のそれは写真と一緒にクリップで留められている。写真は隠し撮りのようで、横断歩道を渡っている数人の男の中の一人に丸が付けてあった。

 七三に分けた黒髪に眼鏡、グレーのスーツという格好の菱田はオフィス街にいればサラリーマンに紛れてしまいそうだ。

 だが、一つサラリーマンとは違うところがあった。スーツに似合わぬゴルフバッグだ。中には刀が入っているのだろう。

 書類によると、菱田は相手が戦闘態勢に入る前に居合いの一太刀で殺すというスタイルらしい。

 ――パワーよりスピード重視の相手。最初の一太刀を避けて、力で押せばいけるか。

 頭の中でシミュレーションをする。

 ――不意を突ければ刀は鞄の中だ、楽な仕事になるんだが……。

 しかし相手もプロだ。尾行されれば気配で気付くだろうし、狙われていることを知っていれば常に警戒は怠らないだろう。

 ――どんな相手でも油断はするな。

 そんな言葉を思い出す。あの人が言ったことだ。

 ――待てよ、あの人って、誰だ?

 思い出そうとしても、大事な所は記憶に靄がかかる。その先を見ようとすると、胸が苦しくなった。

 ――逃げるなよ、太刀風。

 そんな声が頭に響く。

「逃げてるわけじゃねえ。ただ、生きてるだけだ」

 太刀風は頭を抑えた。

「なあ、思い出せねえんだ、あんたのことが……」



 その翌日、決行することにした。

 人留の調べによると、菱田は毎週金曜日の夜にビデオ屋でDVDを借り、自宅であるマンションに戻る。ビデオ屋とマンションの間には空き地があり、夜は人通りも無いそこで殺せばいい。

 そこで待ち伏せ、通りかかったところを斬りつける。その一撃でうまくいくかは分からないが、後は力押しだ。考え込むのは性に合わない。

 夜になったのでアパートを出る。目的地は電車で三十分程の所だった。

 ――こんな近くに殺し屋が何人も暮らしてるだなんて、恐ろしい世の中だよな。

 電車の窓からは住宅街が見えた。家々に灯る明かりがどこか懐かしさを感じさせた。

 ぼんやりしていると、目的の駅に着いていた。

 駅から十分程歩くと、空き地が見付かる。膝まである雑草に一面を覆われているそこは、待ち伏せするにはもってこいの場所だと思えた。

 ゴルフバッグから刀を取り出し、屈み込んで息を殺す。

 菱田が来るまでどれくらいかかるだろうか。待つのは慣れているが、好きではない。

 ――お前はせっかちなんだよ。それも太刀筋に出るから気を付けろ。

 まただ、あの人の言葉が頭に響く。

 ――なあ、誰なんだ? 教えてくれよ……。

 太刀風は目をつぶり、シャツの胸の辺りを握り締めた。

 ――俺は教えてやらねえよ、自分で思い出せ。

 意地の悪い言葉に舌打ちをする。

「誰だ」

 その声に、ぼやけていた意識が覚醒した。

 数メートル先に、菱田が立っていた。

 ――何やってんだ、俺……。

 こんな形でターゲットに気付かれるなんて、笑い話にもならない。

 太刀風は無言で斬りかかった。

 菱田は素早く刀を抜き、弧を描く刃を受け止める。それと彼が投げ捨てたゴルフバッグが地面に落ちるのは同時だった。

 太刀風は一歩後ろに引いた。

 菱田も下がり、息をつく。

「お前が雇われた殺し屋だな」

「そうだ」

 それだけ答え、もう一度距離を詰める。

 菱田はそれをすっと横に避け、太刀風の左腕を狙って刀を振るった。

「っと!」

 太刀風は地面に転がり、その斬撃をギリギリでかわす。

 そして薙ぎ払うように菱田の足に切りつけた。

 菱田は後ろに飛び退いて避けたが、その間に太刀風は体勢を立て直した。

 ――いつもと違う、すぐに終わらねえ……。

 その手強さに、鼓動が高鳴る。胸に熱が宿る。

 不思議な感覚だった。まるで、心を覆っていた膜が熱で溶けていくかのような……。



 あの日から、道場で茶を飲み手合せをしてもらうのが日課になった。

「ちくしょー、次は勝ってやるからな!」

 そんな事を言って、太刀風はあの人の道場に入り浸っていた。

「ああ、いつでも来いよ」

 そう言って、あの人は笑っていた。

 両親が事故で他界してから親戚の家で暮らしていたものの折り合いの悪かった太刀風にとって、そこは唯一の居場所だった。

 教え方はうまいのに、何故か門下生は太刀風以外にいなかった。

 その日、太刀風はその理由を知った。

 いつものように、道場の前に来た時だった。入り口の所で、柄の悪そうな男たちがあの人に迫っていた。

「今日こそこの土地売ってもらおうか!」

 地上げ屋、というやつだろうか。

「この土地、道場は親父から譲り受けた大切なもんでな。譲るわけにはいかねえんだよ」

 毅然と言い放ったあの人の頬に、男の拳が飛ぶ。

「ちっ、厄介な奴だ」

 脅しだけのつもりだったのか、男たちは去っていった。

 太刀風はあの人に駆け寄った。

「だ、大丈夫か!?」

「ああ、これぐらい何てことねえ。さ、手合せをしようか。お前はどんどん強くなってるから、そろそろ俺も追い抜かれるかもしれねえな」

 そう言って道場に入っていくあの人に続く。

「ああ、今日こそ勝ってやるよ」

 太刀風は気を取り直して彼の名を呼んだ。

 ――飛柳さん!



「思い出した」

 いつもにやにや笑っていて、意地の悪いことも言うが最後には褒めてくれたあの人は剣道の師、飛柳勇一郎だった。

「何を呆けている。そんなことで俺を殺せるのか?」

 菱田は太刀風との間合いを取ると、居合いの体勢を取った。



「なあ、今日こそ勝つぜ!」

 道場の戸を開けたが、返事はなかった。

 飛柳は、血溜まりに倒れていた。

 目の前の光景が、理解できなかった。

 どのくらいの時間、その場に立ち竦んでいただろう。我に返った太刀風は、暴力団の事務所に駆け込んだ。

「ふざけやがって、このガキ!」

 腹を蹴られ、壁にぶち当たる。

「お前らが……、お前らが、飛柳さんを……!」

 ここに来てから何度殴られ、蹴られたか覚えていない。喋ると口の中に溜まった血が溢れた。

「おい、面倒だからこのガキもやっちまえ」

 リーダー格らしい男が、デスクの横に立っていた和服の男に声をかける。

「俺は取り立てに行ってくるから、殺して適当に捨てとけよ」

 そう言って、リーダー格は部下を引き連れて事務所を出て行った。その取立て先で、逆上した相手に刺し殺されることになるとも知らずに……。

 残されたのは太刀風と、刀を携えた和服の男だけだ。

 その男は刀を抜くと太刀風の眼前に突きつけた。

 威圧感は刀のせいではない。男が纏っている雰囲気とでも言うものは先程までの男たちとは比べ物にならない程迫力があった。

 それでも、太刀風は男をきっと睨み付ける。

「お前が、あの人を殺したのか……?」

「ああ、俺は殺し屋だ。依頼されれば誰だって殺す」

 冷徹な瞳が太刀風を見下ろす。

「……、る」

 太刀風は口の中の血を吐きかけた。

「殺してやる!」

 男は意外そうに目を見開いた。そして、口角を上げる。

「俺とお前は、住む世界が違うんだ」

「それでも、殺す!」

 男は刀を鞘に仕舞うと、太刀風の学ランのポケットに一枚の名刺を入れた。

「俺を殺したいなら、同じ世界に来い。その覚悟があるならそこに行くんだな」

 男はそれだけ言うと太刀風の横を通り過ぎ、事務所を出て行った。

 太刀風は名刺を手に取った。

 書かれていたのは加藤圭という名前と住所だった。

 体の痛みも忘れて、その場所に向かった。

 今までの世界とは、縁を切った。

 あの人の仇を取る、それが全てだった。



「何で俺は、こんな大事なことを忘れてたんだろうな……」

 繰り返される日常に塗り潰されていた感情が、色を取り戻す。

 太刀風の纏っていた空気が変わった。

 ――結局俺は、逃げてたんじゃねえか。何もかもから。

 一閃。

「俺はもう、逃げねえ」

 太刀風の刀が菱田のそれを弾き飛ばした。

 そしてそのまま振り抜いた刀が、菱田の胸を斬り裂く。

 手応えで、仕事が終わったことを確信した。



 翌朝、太刀風はすっきりした気持ちで朝を迎えた。

「金、取りに行かねえと」

 そう呟くと、身支度を整えて加藤の部屋に向かう。

「なかなかやるじゃねえか。俺は正直、お前が負けると思ってた」

 太刀風の顔を見た加藤は珍しくデスクから立ち上がると、報酬を手渡しした。

「吹っ切れたような顔してんな。何かあったのか?」

「ただ、思い出しただけだ」

 太刀風はそう言うとソファに腰掛けた。

「なあ、一つ頼みがある」

「何だ? 何でも聞いてやるよ」

「これから、殺し屋が相手の仕事だけ回してほしい」

 その言葉を聞いた加藤は、虚を突かれたというような顔をする。

「どういう心境の変化だ」

「思い出しただけだって。何のために殺し屋になったのか」

 加藤は立ったままパソコンのキーを叩き、頷いた。

「そういう仕事は結構ある。優先してお前に回してやるよ、長い付き合いのよしみだ」

「サンキュ」

 太刀風は笑った。

「お前が笑ってるところ見たの、何年ぶりかねえ」

 ――飛柳さん、俺はもう忘れねえ。逃げもしねえ。

 窓の外の風景は、色彩に溢れていた。

 ――ああ、俺は今、生きている。
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テーマ:オリジナル小説 - ジャンル:小説・文学

  1. 2013/12/26(木) 22:05:12|
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